覚書から その5 元号考
4 月に日本に行く前に書きとめておいた覚書シリーズ、まだまだ続きます。
4/1に新元号が発表された時、日本の複数の人から新元号についてどう思うかと聞かれました。 元号についての感想をある読者から求められていたのだけれど、私は元号そのものよりもそれについて誰が何を言っているかに興味を持って観察していた。 フリージャーナリストの古川利明さんは4/2のブログ記事で >>>でも、今は、ぬあんとも驚くべきことに、代々木のニッポン共産党はおろか、あの中核派ですら、「天皇制廃止」を言わなくなっておるんだよな。んもう、ウワシン後継のリテラなんか、最早、「皇室べったり」で、スンゴイからな。だいたいが、ワシ以外に、顔出しで「天皇制廃止」を、こうやって声高に喋っておるのは、他に誰かおるかよ? このやうに、相変わらず、ワシは、ニッポン社会から孤立しマクってて、「独りぼっち」なんだよなあ(笑)<<< と書いていたけれど、もともと天皇制廃止派の弁護士澤藤統一郎さんの憲法日記なんかも http://article9.jp/wordpress/?p=12362で派手に批判している。 私は昭和が普通に使われている時代に生まれたのでそんなものかと思っていたけれど、確かに平成になってから日本にいないので平成何年かよくわからないし、年齢の計算も難しいので西暦で暮らしている。 でも、「新元号」で人々が騒いでいるのを見ても、大晦日とか元旦とか極端にいうとハロウィーンの騒ぎみたいに「風物詩」なんだなあと思う程度だ。その大晦日や元旦も、明治の日本はあっさりと「新暦」にしている(しかも強引に、直前に)ので、フランスにいてアジアのコミュニティが旧暦で盛大に祝っているのを見ている身としては、まあ、今は、経済効果さえあれば何でもありなんだなあ、と思うばかりだ。 誰でも「個人史」の中では、就職とか退職とか結婚とか、子供の誕生や親の死などによって「一時代」の終わりや始まりを感じる。もっと短いスパンでは、誕生日が来るごとに、または年齢の十の位が上がるごとに感慨を覚える人もいる。 共同体のお祭りに変えてしまうには創立記念日とか創業記念日とかを祝うというのがあるだろうし、カレンダーをめくるごとに気分を一新する人も、桜が咲いたとか紅葉が見頃などと話題を共有するのもよくあることだ。人はなんでもすぐにルーティーン化してしまうけれど、それでも生き方を活性化せずにはいられないものなんだなあ、と思う。 新元号そのものについて、と聞かれれば、明治、大正、昭和、平成、令和と並べると、「二重母音」多過ぎ、というのが私の最初の感想だった。 母音が続く場合、アイ、アウ、アオ、オイ、ウエなどは必ず母音接続として音節として数えられるけれど、 エイやオウは音便といえるくらいに長母音になってしまう。つまり、エイはエーに、オウはオーとなる。 フランス語の単語には「pianoピアノ」のような外来語は別として、ほとんど母音接続がない。あるものはほとんど音便を起こしていて、アとイはエ、アとウはオ、オとウはウ、エとイはエに変わる。 それは小学校できっちり習うので、フランス人用の日本語の教科書にも、その規則が載っている。 日本語で、同じ母音が続くときはすべて長母音、イとイはイー、アとアはアー、オとオはオー、などとなる。 「夫婦」はフーフだし、「いいね」はイーネだし、「大きい」はオーキイだ。 同様に、エとイはエー、オとウはオ―だと書いてある。手入れはテーレで、毛布はモーフだ。 はじめてそれを見た時なるほどと思った記憶がある。日本人には「振り仮名」というものを連想しそこには長音の記号を使わないから、夫婦はフウフ、毛布はモウフ、上映はジョーエーではなくてジョウエイだと表記し、そうかと思っている。でも実際は長母音で発音している。 だから、日本語を教科書で習ったフランス人は、「モウフ」を「モーフ」と読むように気をつける。 でも、フランス人が心配しなくても、それを日本の誰かが振り仮名通りに発音しても、別に「間違っている」とは言われない。 このことについて前にも書いたことがある。 2007年の大統領選の時の記事なので、ここに該当箇所をコピペ。
で、明治はメージ、大正はタイショー、昭和はショーワ、平成はヘーセーと日本語のお勉強をしたフランス人なら発音しそうだけれど、日本人なら明治元年だと「メイジガンネン」の方がきりっとしているから「メイジ」というかもしれないし、ケースバイケースかもしれない。で今度もまた令和で、まだ新鮮なうちは、きりっと、レイワ、レイワ、と連呼しているけれどそのうち弛緩してレーワになるかもしれない。昔、学校で「起立、礼、着席」という号令があったけれど、ああいう時はちゃんと「レイ!」といわないと規律正しい感じがしなかったかも。 まあ、普通のフランス人はHを発音しないし聞き取れないから、「平成」なんてエーセーかエセ(長母音も意識されないので)だったのだから、レイワの運命はいかに? Reiwaと表記さればレワだし、日本語を習ったフランス人はレーワだと読むだろうし、Reïwaと表記されればレイワで、日本人がレーワと言うのを聞いて悩む人も出てくるだろう。RをLと発音しろというのは時々親切に書いてあるけれど・・・。 考えすぎ? (これを書いてから、だいぶ前に読んだ山口謡司さんの『ん--日本語最後の謎に挑む』(新潮選書)のことを思い出した。そこに、日本語は、「連声」があって実際の発音が変わっても、オリジナルの単語の発音をそのまま残して表記するとあったのだ。たとえば日本橋は実際はニホムバシと發音していても、オリジナルのニホンを残してニホンバシと表記する。これが音便表記にも関係しているのかもしれない。そういえば、「ん」や「濁音」は下品だという感覚が日本語にはずっとあったとも書いてあったっけ。私が今日本ではやりの「ジージ、バーバ」という祖父母の呼び方に耐えられないのもなんとなくわかる。「おじいさま」なら濁音ひとつ。「おじいさん」なら「ま」が「ん」に降格、「ジジイ」は濁音が二つになって下品でリスペクトに欠ける、それが一体いつのまに「ジージ」ならOKになったのだろう…)
by mariastella
| 2019-06-10 00:00
| 雑感
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