ようやく『神と女のキリスト教史』にかかっている。
内容はもうすでに十分考えてきたものなので資料もそろっているのだけれど、神学書がそろっている書店に行ってみた。
私の考えているようなアプローチのものはない。
私はいわゆるフェミニズム神学を紹介しようと思っているのではないから、その手のコアなものはむしろ敬遠していた。
でも、一応系統立てようと思って、フェミニズム神学の流れを紹介した本。

フェミニズム神学の観点から聖書を読み直す本、これは、アングロサクソンではなく、フランスのカトリック、プロテスタントの女性神学者たちの共同作業、『女たちの聖書』。

そして、ジャーナリストでもある著書が、イエスは女性を男性と対等に扱っていただけではなく、男性よりも女性の方が好きだったのだ、という証拠を福音書の中で検証していく本。

ちらちらと読んでみたけれど、フェミニズムがどうというより、ほんとに「目から鱗」の話がたくさん出てくる。
確かに、2000年近くも微に入り細に入りあるゆる国の人たちが聖書を研究し、解説してきたと思っていたけれど、それはほぼ全部、男による男のための読み方だった。
だから、「原語」の意味が都合のいいように翻訳され直しているところもあるし、「通説」も全部「男の目から見たヴァージョン」で根付いている。改竄としか言えないようなものすらあるのだ。
でも、よく考えてみたら、聖家族だのイエスの登場の仕方って、古代ローマから続く父権制の世界と対極にある、最高に不都合なものだった。
その不都合さが、解釈や改竄によって「女子供の教育」向けに正されているにしても、完全な「上書き」はされていない。よく見れば「不都合なまま」で残されているのが分かること自体が奇跡的なほどだ。
その「不都合さ」が、エゴイズムのぶつかり合いから少しずつでも人々を共生に導いていったのかもしれない。まだまだ道は遠いけれど。