フランスに来てから使っている車はなぜかずっとフォードだ。
こちらに出回っているフォードはヨーロッパ産で、フランスにも工場があるのになぜかドイツの工場のイメージで、ドイツの車は丈夫そうでいいよね、という感じを持っていた。最初のフォードがドイツ経由のものだったからかもしれない。
で、今まで、何度も買い替えてきても、結局いつの間にか、フォードに落ち着いていた。自動車を最初に発明したのがベンツでも、大量生産で庶民の手に届くようにしたのがフォード、という図式も頭にあった。
でも、最近、ヘンリー・フォードの反ユダヤ主義とナチスへの献金について読んだので何だかいやな気分になってしまった。1938年にはナチスから外国人への最高勲章を授与され、ヒトラーの『我が闘争』に出てくる唯一のアメリカ人だそうだ。
第二次大戦中にもフォードはドイツのケルンの工場やフランスのポワシィの工場を稼働していて、まさに金には敵味方もない、というやり方だった。ナチスの戦車も連合軍の戦車も同じモーターだったという話もある。
すでに大戦前の1932年にオルダス・ハクスリーが出した有名な『すばらしき新世界』でも、フォードは「神」の扱いになっている。世界の暦も、フォードの車が発売された1908年から数えるフォード暦という設定だ。
神と言っても、その社会には宗教も霊性も超越もなく、「家族」もない。マルクス主義でもファシズムでもナショナリズムでもない、消費産業社会であってその偶像がフォードなのだ。
この未来世界では、人間が胎児の頃から選別され、管理され、階級ごとに欲望を満たされ、誰もその状態に疑問を抱かない理想的な「平和」な社会が実現している。消費を生む活動だけが意味あるもので、欲望はヴァーチャル・リアリティによって満たされ、知的格差が経済格差と相関している。
舞台はフォード紀元632年(西暦2540年)で、西暦2049年に勃発した最終戦争の後での「平和」が管理社会だというわけだ。
2049年。
最終戦争がなくても地球の生態系が壊れていそうな近未来だし、消費経済至上主義やヴァーチャル・リアリティもすでにあるし、もナチス的な優生主義も形を変えて広がっている。
人間性って何だろう、と車に乗る度に考えることになりそうだ。