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L'art de croire             竹下節子ブログ

福音書の神学と歴史学

7/3、バック通りのパリ外国宣教会で開かれた講演に参加。
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猛暑も終わって涼しく天気も良く、夜10時頃まで明るいこの季節に、8時半頃開始の集まりにぶらりと出かけることができるのは贅沢だ。

参加費なしで、飲み物やおつまみも提供される。しかもとても美味。
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この辺りのお店はみないいものを扱っている。

で、テーマは、聖書が、神学的構築なのか歴史的アプローチなのかという話。
" Les Évangiles une approche historique ou une construction théologique ?"par François GLORY (MEP)

講師はラオスやブラジルでも宣教師をしていたフランソワ・グロリィ師。
ブラジル人(1人はドミニコ会士)が2人参加していた。

さて、日本人の私にとっては福音書が初期共同体のために神学的整合性があるように編集されたものだということは最初から普通に認識していたけれど、グロリィ師の世代では、何と、1950年代の神学生時代にも聖書を所持したり読んだりすることがなかったというのだから驚きだ。
プロテスタント神学者が聖書の記述の神話論をぶち上げていたことなどもちろん知らなかったそうだ。

ヨーロッパの平均的なカトリックは、プロテスタントの登場以降、いや、第二ヴァティカン公会議以後、まず、

「イエスがユダヤ人である」ことと、
「イエスはキリスト教徒ではなくてユダヤ教徒だった」

ということを知る必要があったという。

先行宗教とうまく習合してきたカトリック一色で1000年も過ごしていた人々にとっては、「イエスさまはキリスト教の教祖さま」「共同体の氏神さまである聖人様の中で一番偉いお方」、というのに近い感覚がそれほどまでに浸透していたということだろう。

で、実のところ、イエスの生涯で、歴史的に確実な事実は、イエスが存在していて、ローマ総督ポンティ・ピラトの時代に十字架刑で殺されたという部分だけだ。そして、その後、そのイエスが復活したのを見て信じたという人たちがキリスト教を始めたのだから、本来は、十字架上の死と復活以前の他の言行録や事実関係の描写は、本質的でなく、必要でなかった。キリストなしのイエスはないからだ。

けれども、そのよそ目には荒唐無稽な受難と復活について使徒たちが証言し伝えていくうちに、さまざまな質問や課題に答えなくてはならず、少しずつ、受難と復活から遡っての形が出来てきた。歴史的なイエスに関心を持っていなかったパウロも、共同体での議論や質問に答えていく中で少しずつ神学を作っていった。それが口承から文字に書かれるようになっても、アラム語からギリシャ語にしたり、手写していくうちにいろいろなエラーが 混ざったことは確実だ。
手写は必ずしもギリシャ語がわかる人が写したわけでなく、ただ文字の形をそのまま写していくという場合もあったので、 なおさら意味の齟齬が生まれる。

グロリィ師が持ってきて見せてくれた参考文献。
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プロテスタント、しかもアメリカの神学者が強い。
バート・D・アーマンの2書は特に最新の実証研究の成果があるようだが、なんと日本語でも『捏造された聖書』などが訳されていた。でも、第一線の聖書学というよりなんだかダビンチコードのようなノリだ。

このリストには挙げられていないけれどおもしろそうなのは、『キリスト者はなぜカトリックになったのか?』

これは、聖パウロの伝記も書いたソルボンヌの歴史学者バスレ女史の本。
ローマ・カトリックをローマ・カトリックにしたのは世俗権力のローマ帝国だという一見当たり前のことが、知的、霊的、政治的な長い試行錯誤の末に、オリエントとオクシデントを統合して「カトリック=普遍」が生まれた過程をじっくり読んでみたい。
講演の内容でなるほどなあと思ったことがあった。

これまでの私には、使徒たちがユダヤ教のベースの中から、イエスがメシア=キリストだということを説得し証明するために、ユダヤの聖書に書いてあったことがすべて神の遣わせたイエスの受難と復活によって「成就」したというレトリックを駆使してきたのだろうというイメージがあった。
だから旧約のイザヤ書の中の「僕(しもべ)」の代理贖罪的死の迫害のシーンを受難に重ねたり、十字架のイエスに詩編22とおなじようなセリフを言わせたり、するのだろう。第一、弟子たちはほとんど逃げてイエスの死に立ち会わなかったのだし、そんな姿や言葉を見たり聞いたりしていたというのも不自然だと、普通に思っていた。
私はキリスト教と関係のない環境で生まれ育っているから、聖書が編集だとかご都合主義の捏造だとか言われたとしても、別に衝撃でもなくそれと信仰の歴史などは別物だと普通に思っていた。

けれども、グロリィ師によれば、それは実は逆だった。

いくらイエスが現れても、パウロにはやはり十字架の死は躓きの石だった。ユダヤ人にとって、メシアが殺されるなんてあり得ないからだ。
ところが、パウロはユダヤの聖書をよく知っていた。

で、ある時点で、ユダヤの聖書を振り返って、そこに、イエスの死を説明できるシーンを見いだして、そうか、これが実現したのだ、と電撃的に悟ったのだろうというのだ。
つまり、イエス・キリストを信じたから、そこに整合性を与えユダヤ人を説得するためにユダヤの聖書(旧約聖書)と関連付けて「ほーらここに書いてある」、「だから神との関係は新しい時代に入ったのだ」と理屈づけたのではない。
旧約聖書の知識に照らし合わせて、「なんと、ここに書いてあった!」「十字架の死は贖罪の死だったのだ!」と発見し、愕然と腑に落ちたというわけだ。

こう考えると、新約聖書が旧約聖書の成就したものだなんて、細かく見れば矛盾だらけなのに、牽強付会で意味が分からない、などと悩まなくてすむ。

パウロも使徒たちも、復活のイエスを見たり声を聞いたりして、イエスがキリストであることは「信じた」。けれども復活の前の惨めな死に方をどう考えていいのか分からなかった。でも、詩編やイザヤ書のおかげで、その最後の迷いが霧消したのだ。
説得のための編集ではなく、彼らの信仰の形成の過程こそが編集に現れたのだ。

(続く)










by mariastella | 2019-07-13 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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