先日、定期検査の結果を見せに主治医の所に行った時、待合室で「エル誌」を手に取ってぱらぱらと読んでいたら、巷には「# Proud Mommy」とか「#Super Mum」とかいうタグがあって、おかあさんたちがインスタグラムで料理のレシピだのインテリアだのを自慢する風潮があり、それでふらふらになる人が増えているとあった。
家事も仕事も子育てもみなこなすという「スーパーウーマン」の神話など、もう前世紀の遺物かと思っていたのに、今は、SNSを通じて写真やビデオでマウンティングすることを生き甲斐にしている女性がたくさんいるのだそうだ。
前にこういう記事を書いたことを思い出して読んでみた。
私にはこの記事の意味での母性遺伝子が欠けているせいかもしれないけれど、子供を手間暇かけて育てているタイプのおかあさんを見ても、特にすごいともやり過ぎだとも、別に何とも思わない。
猫ブログやオピニオンブログはいろいろ読んでしまうけれど、子育てブログみたいなものでは子育てをギャグにしているものでないとおもしろいと思わない。
でも、このエルの記事を読んで、なるほどと想像できた。今までなら必死にがんばっても報われないようなことが、写真をアップして「イイネ」と承認してもらうことで満足を得られる。アイディアにあふれてインスタ映えするお弁当や食卓の写真などを記録さえすれば、それが意外に子供にうけずに残されて返ってきても、食卓で家族がみなスマホを覗きながら無言で食事しても、失望や無力感はぐっと減るだろう。
でも、一度そういう味を覚えてしまうと、それが続かなくなったときに敗北感があるし、嫉妬、羨望、欺瞞、嘘などの負のスパイラルに陥ることもあるだろうなと思う。
これがただのファッション自慢とかゲームや芸能へのコメントならやめてしまうこともできるけれど、スーパーママだとかママの誇りだとかのコンテンツである母親業自体をやめてしまうわけにはいかないし、「ママ友」内で共有されているものであれば匿名性に逃げることすらできない。
個人主義で知られるフランスですらこういう記事が出るくらいだから、日本のおかあさんたちがSNSによって受けるプレッシャーってかなり大きいかもしれない。
おかあさんたちのクライシスは子供たちのクライシスでもある。
少子化がよくない、どんどん子供をうみなさい、なんて言っている場合では、ない。