最近ショックだったことは日本がベトナムを占領中に200万人の餓死者が出たという事実だ。
このブログで知った。
私の友人でベトナム人とフランス人士官のハーフの女性が、日本軍の占領時代を覚えていて、日本兵が道でお人形をくれたのが嬉しかったといつも言っていたので、占領は平和だと思っていた。彼女の父はフランス士官だけれど、フランスはドイツと和平協定を結んでいたので日本人兵とフランス兵は仲良く映画館に行っていたとも言っていた。
でも、今思うと、彼女は餓死するような「一般のベトナム人」とはまったく違うわけで、日本軍が収奪したり備蓄したり供給されていた食べ物をちゃんと与えられていたのだろう。
フランスにいると、帝国主義の植民戦争は白人から非白人に向けられた人種差別的侵略だと思ってしまうけれど、実は人種なんて関係がない。
軍事技術、兵站、動員力、経済力などでうわまる側が弱い方を侵略し、人種に関係なく、侵略し、植民する側は、基本的に、侵略対称の人民をすべて見下している。
人種とか肌の色とか関係ない。
ベトナムもそうだけれど、日中韓などなおさら見た目で区別できない例は多い。いや、まったく同じ民族の同じ国でさえ、強い者が弱者を奴隷にするなど支配する時、弱者を見下している。劣等、下等と見なし、ひどいときは人間だとすら認めていない。
それは、今の日韓問題でも、日米問題でもベースにある。
過去の軍事的占領者は、敗者を下等だと思っていた。
日本は韓国より上等で、アメリカは日本より上等だ。
「価値」は、「競争力」と「勝敗」が決める。
その偏りを根本的に正さない限り「反省」も真の平和の確立もない。
何が言いたいかというと、歴史の検証を怠っていることは、今現在の差別構造を許しているのと同義だということだ。
言い換えると、日韓問題で「過去の歴史の検証を怠る」ことは、「対米従属」とセットになっているという事実だ。
ヨーロッパなら、ドイツがナチス・ドイツの罪を真摯に謝罪していると言われることと、EUで昂然と頭をあげてリーダーシップを認められていることがセットとなっていることの裏返しである。
日本国内でいうと沖縄の基地問題はその表れだ。
対米従属と沖縄差別もひとつのことなのだ。
「強い者が偉い」という根強い意識を消し去らなければならない。
強い者に「忖度」し続けて長いものに巻かれる姿勢が、そのまま相対的に加害者としての自覚と反省を妨げる。
前にも何度もリンクしたけれど、自戒のためにもう一度この記事をリンクしておこう。