演奏者はいらないというダンサーたち
昨年9月に最初にバロック・バレーのレッスンに行った時のこと。
クリスティーヌはまだ手術の予後で足の外旋が不自由だったのでエリーズが応援に来ていた。
エリーズと会うのは久しぶりだ。 思えばクラシックから転向したエリーズをエマニュエルがクリスティーヌのクラスに連れてきた最初の日からの付き合いで、東日本大震災のチャリティーコンサートを海軍ホールで私が企画した時に、エマニュエルといっしょにいろいろ踊ってくれた。 クリスティーヌらとルネサンスのパヴァーヌの話をして、その日はリュリーのクーラントを踊ったのだけれど、音楽が今一つ踊りに合っていない。 バロックのダンス曲というのは、踊りに合わさなくてはいけない。踊り手が曲に合わせるのではない。 1650-1750年の100年間のフランスは、ダンスが音楽より「えらかった」唯一の時期、と言われている。 実際、ルイ14世が親政をはじめてすぐに王立のダンスアカデミーを創立(1661)してから、実際にオペラバレーが上演されるまでに4,5年かかっている。(オペラのアカデミーは1669年、音楽のアカデミーができるのはそのまた数年後の1673年だ。) なぜかというと、ダンスのアカデミーができた時に、ダンサーたちが、音楽家は入れない、といったからだ。当時のダンサーはみな演奏家でもあった。最初のダンスアカデミーのメンバーは、ルイ14世と共に踊っていた仲間たちが中心だ。 そして音楽家を締め出したダンスアカデミーが独自にダンス曲の演奏家を養成し始めた。それに時間がかかったのだ。 ここでいう「音楽家」とは、メネストリエルという演奏家同業組合のメンバーということだ。メネストリエルは、定住しない吟遊音楽家などを統制するために国王の肝入りで1321年に始まったもので上納金を納めてメンバー登録をしなければ音楽活動ができなかった。16世紀が最盛期で、入会試験には国王も列席し、その中心はロイヤル・チャペルのオーケストラ24名でそのトップの称号が「ヴァイオリン王」がというもので、ダンスアカデミーができた時のヴァイオリン王はギヨーム・デュマノワールだった。彼はダンスアカデミーの設立に反対した。音楽アカデミーができた時、もうそのメンバーはメネストリエルに登録しなかった。 それから一世紀以上、メネストリエルとアカデミーは並立したが、フランス革命でメネストリエルは消滅した。 そういうわけで、フランスのバロック・バレー曲や、当時のフランス式のバレー組曲(ガボット、メヌエット、ブーレ、クーラント、サラバンド etc…)は、すべて、踊りを知り尽くしている演奏の仕方が前提なのだ。 私のアンサンブルの弾くダンス曲は、バロック後期のミオンやラモーの時代なので、今度は逆の現象が起こっている。曲の中に身体性やステップが組み込まれているので、もうダンサーは必要ないという世界なのだ。 おもしろいのは、ルイ14世の周囲のダンサーたちがもう音楽家は要らない、と反乱したのと同じようなことが1980年代のアメリカのコンテンポラリーダンスの世界で起こったことだ。彼らはもう既成の音楽を使うことを拒否した。 音楽とダンスが絶対に仲間割れしない次元というのは、音楽の一要素であるリズムの次元だけだ。太鼓さえあれば、大地を踏む足さえあれば、踊りは成立する。 逆に、ラモーの舞曲の身体性、複合したリズム、重力感を完全に理解して演奏するならば、それは、メロディーもハーモニーも精神性も備えた完璧なクリエーションになる。 残念なことに、ラモーの曲だけではなく、たいていの曲は、たいていのオーケストラが楽譜づらを見ただけで初見に近い形でこなしてしまうのが現実で、「踊れる」演奏の録音は非常に少ない。 本物のバロック・ダンサーと共演する経験があったり、フランシーヌ・ランスローが監修したりした録音は、だから、ほんとうに貴重だ。
by mariastella
| 2020-07-12 00:05
| 踊り
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