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L'art de croire             竹下節子ブログ

『ライアンの娘』デヴィッド・リーン監督

1970年の作。日本公開時にすぐ観たのを覚えているから、もう半世紀近くになる。

けれども、美しい映像のほか、内容はもうほとんど覚えていなかった。

12/1Arteで公開されたので、3時間以上の大作にもかかわらず、もう一度観てみることにした。大画面の映像の迫力がテレビ画面になるので、もし途中で退屈したら見るのをやめようと思った。

結果、昔とは全く違う、すばらしい作品だと感心して、もちろん最後まで釘付け。

今はネットで様々な情報も再確認できるので、あの美しい景色も、好天はめったになかったので、太陽の輝くシーンや青空は南アフリカで撮影したのだと知った。でも嵐の夜に村人総出でドイツ軍からの武器密輸を手伝うシーンは、昨今のようなCG合成はないからすべて実写で、撮影スタッフに重大事故もあったという。ロバート・ミッチャムがホテルの庭でマリファナを栽培してみなと分けていたというのも時代を感じさせられる


で、今となっては、アイルランド舞台と言えばまっさきに宗教のことを考えてしまうので、デヴィッド・リーンを検索するとクエーカー教徒の家庭で育ったとある。

クエーカーのイギリス人が監督で、神父役のトレヴァー・ハワードと足が不自由な知的障碍者マイケルを演じるジョン・ミルズがイングランド人(アイルランドではない)、イギリス人のヒロインをめぐるふたりの「男」のジェンダーを担うのがアメリカ人俳優、有名なテーマ音楽はフランス人のモーリス・ジャール、などという組み合わせにも、今となってはいろいろ考えさせられる。

半世紀前の日本で学生だった私にとっての「英語の映画」って、のっぺりとした「アメリカもの」というイメージだったのではないかと思うほどだ。
フロベールの『ボヴァリー夫人』がベースにあったというのも気づかなかった。フロベールもボヴァリー夫人もカトリック・ベースのフランス社会が背景だ。

そして、第一次世界大戦の時期からヨーロッパに渦巻いていたトラウマ、憎悪、倒錯した平和と報復の感情などを実感として知るようになった今では、この映画の背景がつらいほどに分かってくる。

ストーリーとしては、アイルランド独立戦争前のアイルランドの西端のディングル半島にある寒村(すべてセットで作ったそうだ)で、村のたった一つの学校教師(一日の授業の終わりには教会の司祭が来て主の祈りをみんなで唱える)の元教え子の妻ロージーが、イギリス軍将校と不倫して村を追われるというのがある。ライアンの娘ロージーの夫となる教師は、1913年に35歳の妻を亡くし、3年後に元教え子のロージーと再婚。この時代のこの場所で、前の妻との間にも子供がなくロージーもすぐに妊娠しなかったというのは、彼がロージーを惚れさせた男性的肉体美をもっているのに性的に不毛だったというのを想像させる設定だ。潜在的にゲイだったのかもしれない。

彼はクラシック音楽ファンで生徒にも影響を与えるが、特にベートーベンが好きで、胸像を飾っているほどだ。でも、第一次大戦中は「敵性音楽」としてベートーベンが演奏されなくなり、ダブリンでコンサートにいっても演目はベルリオーズとチャイコフスキーだった、と言っているのも興味深い。もちろん、家では第五交響曲の「運命」などを大音響でかけている。

他のアイルランド人も、パブに集まっては、「ブリテン、負けろ、ドイツ、勝て」と言っている。(パブのパトロンであるライアンは実はイギリス軍のコラボなのだが。)


映画の最初にまず、知的障害のマイケルがオマール海老を獲って、ロージーの気を惹こうとハサミをちぎって司祭に叱責されるシーンがある。人間も海老も「全ては神の被造物」なのだから尊重せねばならないと。

ところがすぐ後に、マイケルをからかう村人たちがよってたかって海老をばらばらにする。司祭がやってきて咎めると「ただふざけただけなんです」と弁解。ラストにロージーをリンチする心理の伏線となっている。

もうこの冒頭のシーンだけで、暗くなる。

これらの人々の残酷さは、失業、政治状況を反映している、とされている。


ロージーと教師の結婚が決まると、司祭がいわゆる「結婚講座」をロージーに授ける。結婚の意義の第一は支え合いと分かち合い、第二は子供を授かり育てること、第三は自然な肉欲を満足させること、と教えられたロージーは最後のが怖い、という。司祭は男も怖いんだよ、でも私はそこから離れて生きているから分からない、という。

独身制のカトリックの司祭だから、アイルランドの寒村ではいろいろやっているに違いない、というのは誤りだ。とりあえずカトリックしかない世界だから、司祭も信者もありとあらゆる人がいて、この村の司祭はたまたま高潔で、かつ「リベラル」な人間だった。

嵐の夜は村人と一緒になってアイルランド独立軍に加担するし、ロージーの不倫や夫婦の離婚の決意に関しても教条的な言葉は投げかけない。社会的弱者であるマイケルとしばしば一緒に行動する。

結婚式で、結婚指輪を花嫁の指にはめる時に、「父と子と聖霊」と言いながら人差し指、中指に触れながら最後に薬指にたどりつくというやり方も今回初めて気づいた。

その他のカトリックの含意としては、アヴェ・マリアの祈りの後に聖母のシンボルである「白百合」が映されるところなどがある。最後に村を去るロージーへのプレゼントとして、聖人の聖遺物の「お守り」を挙げるのだが、「私はあまり信じていないが」などとわざわざいうのも、リベラル神父ならでは、だ。

駐留イギリス軍の隊長として赴任してくる少佐は、マルヌの戦いで負傷した後遺症で足を引きずっていて、その歩き方が、知的障害者で共同体の気晴らしでありトリックスターでもあるマイケルと似ているのが意味深長だ。

他の駐留兵士にもマルヌの戦いからの帰還者がいる。1914年の第一次世界大戦最初の戦いとなったマルヌの戦い(ドイツのパリ侵攻をくいとめた)は独仏両軍に多大な犠牲を出した凄惨なものとして知られている。実はそこにイギリス軍もいて、そこで負傷したり戦争トラウマを負ったりした者が、ドイツからはるか離れたアイルランドの大西洋側に「異動」させられることで「休息」扱いとなっていたわけだ。

戦争トラウマの問題は、ベトナム戦争後に一般に認知されたもので、この映画でのトラウマ描写は1970年前後の問題意識とリンクしている。

映画はそのマルヌの戦いから2年後の1916年が舞台で、せっかく前線から後退して休めるはずだったイギリス軍が、今度はアイルランド民族主義者の蜂起に遭遇してしまうわけだ。

アイルランドは第一次世界大戦後すぐの独立戦争を経て、自治領となったりイギリス連邦内主権国となったりいろいろな歴史を経て、ようやく完全な共和国となるのは第二次世界大戦終結後だった。ヨーロッパではほんとうに、第一次大戦と第二次大戦がひと続きだったのだということがよく分かる。

私が最初に学校でイギリスのことを習った時にはちゃんと「グレート・ブリテンと北アイルランドの統一王国」と言われていた。フランスに来てからは、スコットランド人との付き合いも通して、「グレート・ブリテン」そのものの複雑さを、フランスとの関係も通して実感してきた。今はBREXIT騒ぎでアイルランド問題がまた注目されている。北アイルランドの6州が最終的にブリテン王国に留まったというのも、今はよく分かる。

長くチベット問題にかかわってきたので、すでに漢人による植民と混血が進んでいる今では、「チベット人の独立国」というのが現実問題として不可能だという実態があるのだ。中国本土の人や資本がどんどん入っている台湾や香港の問題とも共通する。


『ライアンの娘』には、物語の背景となる時代と場所、映画が撮影され公開された時の時代と場所、監督や俳優の国籍や文化や世代の背景、それらすべての複雑な要素を超えて、普遍的に変わらない人々のエゴや、生命観や、時代の圧力に抗するいろいろな反応、共同体の縛りのある世界での普遍主義の標榜、様々な弱者への視線がある。


古くなるどころか、身につまされるような映画だということが、今、よく分かる


by mariastella | 2020-01-09 00:05 | 映画
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