今年はヨーロッパにとっていろいろな記念の年だった。
第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約から100年、第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦やパリ解放から75年。
ベルリンの壁崩壊から30年というのもあった。
ヨーロッパにとっては、「冷戦」というのは東欧から西欧に向けてミサイルが設置された一触即発の緊張の期間だった。西欧に「核の傘」を提供したのはアメリカだ。
冷戦の終結に奔走した東欧人で西欧の中心人物ともなったのがポーランド人のローマ教皇ヨハネ=パウロ二世だった。
ゴルバチョフは彼を招いた。たった一人で10億人のスポークスマンとなるポ-ランド人だ。
その時にヨハネ=パウロ二世が発した有名な言葉が、「ヨーロッパには両肺が必要」だと言うものだ。ヨーロッパは、キリスト教化によって成立した。ギリシャから東欧を経由した正教と、ローマから広がったカトリックだ。その2つの大きな流れから見ると、近代に入って分派したプロテスタントは別口だ。で、両肺とは、ギリシャ=ローマ文化を基盤に持つ正教文化とカトリック文化となる。
ヨハネ=パウロ二世は「文化的に完全であるためにアメリカは必要ない」といい、それが今の地政学的「ヨーロッパ」の始まりだった。
ヨハネ=パウロ二世と話したゴルバチョフは、「あなた以上の社会主義者は見たことがない」と言ったそうだ。キリスト教の両肺と和解することは、社会主義の理念に外れるものではないという感触もあったのかもしれない。
私など子供の頃に日本から見ていた「冷戦」はなんとなく「米ソ」の対決だと思っていたけれど、アメリカはいわば「安全権」にいたわけだから、「冷戦」の終結は、東西ヨーロッパの、東西ベルリンの統一の道を通るしかなかったのだなあといまさら思う。
今のローマ教皇であるフランシスコは文字通りの「片肺」(若いころの肋膜炎のため)だし、米ソでもヨーロッパでもない南アメリカ出身でもある。
時代は変わった。
そんなフランシスコ教皇は、米露ヨーロッパを含めたすべての核兵器廃絶を説くのにふさわしい。
でも、問題は冷戦時代の「核の傘」体制だったNATO軍の存在だ。
今やアメリカ・ファーストのトランプや、イスラム色を強めるトルコまで入っている。
そのNATOの成立70周年記念の式典が12月はじめにイギリスであった。
マクロンが「NATOは脳死状態」と言ったり、アン王女やヨーロッパ首脳とカナダの首相がトランプをスルーした様子がトランプを怒らせたり、確かに、末期症状はある。
テロリスト対策では協力が必要だが、ロシアを仮想敵とするのはもはや得策ではない。
でも、アメリカを怒らせたら、「核の傘」はどうなる?
EUヨーロッパで核兵器を持っているのはイギリスとフランスの二国だけだ。
しかも、イギリスはBREXITで一抜けようとしている。
大陸ヨーロッパは「フランスの核の傘」にさし替えることができるのだろうか。
それはかなり非現実的だ。なぜならEUの重大決定は合議制による一致を必要とするからだ。
「敵」から核攻撃をされた時に、報復の核ミサイルの発射ボタンは簡単には押せない。
フランス大統領にだけ全権を委任するようなことはあり得ない。
それでは「抑止力」はどうなる?
こう考えていくと、核の問題というのは、「抑止力」が有効かどうかだけではなく、実際に、使用の決定や責任の所在があちこちのせめぎあいで機能しない状態にあるということが見えてくる。
現実主義とかプラグマティックな決断なんて、いったい、なんだろう。