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L'art de croire             竹下節子ブログ

ノートルダムからサーカスへ

クリスマス・イヴのミサ(真夜中の零時にイエスが誕生したと想定して行われる)があった日、パリ大司教がサーカスのテントの中でミサを司式したことがどのテレビでも放映された。その時に必ず、大司教聖座であるノートル・ダム大聖堂ではミサを挙行することが不可能だというコメントがついていた。もちろんノートルダムでのクリスマスミサはクローデルの回心などでも有名なくらいに特別な歴史があるけれど、実は、オプティ大司教はノートルダムが炎上するより前、今年の3月にもう、今年のクリスマスをサーカスのテント内で司式すると予告していた。


報道にはそのコメントも付け加えられていたのだけれど、第一印象として、ノートルダムが焼けた、だから、サーカスで、と極端なコントラストになる。

もちろん、オプティ大司教がサーカスで司式しても、焼けていなければノートルダムのクリスマスミサは他の補佐司教や司教代理などによって通常通り司式されていただろう。

逆に、オプティ大司教がサーカスで司式しなくても、伝統的にサーカスのテント内というのはクリスマスミサが行われる場所なのだそうで、クリスマス・ミサ自体はあったわけだ。


大司教の意図は、「より人々に近いところに出ていく」というフランシスコ教皇の方針通りに、大聖堂からサーカスを目指したものだった。

それなのに、なんとなく、

「ノートルダムが焼けたからと言っていきなり、サーカスですか?」と思われたり、

「ノートルダムを捨ててサーカスなんかに行くからノートルダムが悲観して身を焦がしてしまった」

と思われたりするのは皮肉な偶然だ。

どちらにしても、ノートルダムでクリスマスミサができなかったのはフランス革命の時代以来200年以上ぶりのことであるのは間違いがない。

年末にはノートルダムの修復に関するドキュメント番組がたくさんあって、見てみると、やはりフランス・ゴシック教会建築というのは、王の力と教会の力と、信仰と誇大妄想とが一体となって成し遂げた「奇蹟」だなあと思う。ノートルダムより古いサン・ドニの大聖堂も、19世紀だかに焼け落ちた塔の半分が、来年ようやく再建される予定だそうだ。これまで再建されなかったのは、当時のテクニックが解明できなかったからということに尽きる。最近ようやく、目途がついたそうだ。

で、とびぬけて国際色豊かな職場であるサーカスのテントの中で、オプティ師は苦難が続く中東のキリスト教徒のために祈った。

テレビでは、セーヌ河に浮かぶ2台の大型艀船で、恒例の、クリスマス・ディナーのニュースも流れていた。今年はエッフェル塔を眺められる一等地の5隻で、600人の難民や貧困家庭の人々がカリタス(カトリック系慈善団体)に招かれた。メニューはキャビアやシャンパーニュ、クリスマスビューシュ(薪型のケーキ)などクリスマスらしいものだ。

それぞれが困難に陥るまでにたどってきた道や背負っている文化などが違っているにもかかわらず、共に食事をすることで、料理人やサービスをする人も含めて、みな一体感ができて楽しそうだ。毎年来るボランティアには家族総出でボランティアに来る人たちもいる。

これを見ていると、クリスマスの本質は、カテドラルにも、ましてや豪華レストランなどにあるわけでなく、ここにあるんだと分かる。

フランスでは日本の正月のように年に一度は必ず家族が集まる伝統日であるクリスマス・イヴだけど、大家族だと、大切なポイントは、「小さな子供がいる」というところだ。

こちらでは子供たちは「サンタさん」に手紙を書くなどして欲しいプレゼントを待つわけで、クリスマスの日にツリーの下にプレゼントを見つけると子供たちはもちろん夢中になる。

で、あらためてすごいなあと思うのは、その時子供に求められているのは、たった一つ、喜ぶこと、嬉しそうになること、だけなのだ。

一年の他の場面では、子供たちは何かを頼むときの言い方や、してもらった時の感謝の仕方を厳しくしつけられる(クリスマスに子供が望んだものを買い与えてやれるような家庭では特にそうだ)。

日常の動作でも、例えば日本なら「お水のみたい」「はいどうぞ」で終わるような場面でも、「ママ、お水をちょうだい」「はい、どうぞ」「ありがとう、ママ、」とひと続きになっていないと毎回注意されて育つ。

ところが、クリスマスは、クリスマスだけは、子供たちは大人にお礼を言わなくてもいい。

単純に言って、大人よりも「上」の「お空」から、プレゼントが配られるからだ。

大人にとっても、それは「ありがとう」という感謝の言葉の「見返り」さえ期待しない純粋の贈り物で、最高の「見返り」は子供たちの喜ぶ姿である。

ペット、特に「主人の言うことに従う」ことのない猫に毎日仕えている人は、少し、この「見返りを求めない愛」のすばらしさを味わう恩恵にあずかっている。

でも、人間同士の間ではそれはなんと難しいことか。

親子でも、子供のしつけに責任がある親は、クリスマスプレゼントですら「いい子にしてないとサンタさんがプレゼントをくれませんよ」と恫喝するかもしれない。でも三世代や親戚一同が集まるようなクリスマスなら、もう誰が何をくれたのかもわからないし、ただ、子供たちが手放しで喜ぶだけだ。

それを思えば、大人同士が原則等価で交換するようなプレゼントはクリスマス的にはまったく意味がない。

「あの人にはこれを上げたのに、こんなものしかもらえなかった」とか「去年はあれを上げたけれどあまり気に入らなかったみたいだから今年はどうしよう」とか「去年よりも安っぽいものを上げるわけにはいかないし」とか、いろいろな思惑がかけめぐる。それはそれで楽しいのはいいかもしれないけれど、クリスマスのエッセンスはどこにもない。

クリスマスのエッセンスとは、「神が無償で万物を創り、愛し、ついに人の姿として自分の子をこの世に送った」という一方的な「与え」にあるからだ。でもイエスも、大人になって使命遂行に乗り出す前は最悪の環境で生まれ、すべての人の助けを必要とした。

イエスが生まれた場所も時も、季節も定かではない。でも、冬至に再生する太陽神をカバーするためにクリスマスを設定したのだとしても、結果的に、「寒い季節に最悪の環境で裸で生まれた」ことになったので、その幼子を慈しむ心が、今でも小さい子供を慈しむというところで発揮されるわけだ。

イエスの馬小屋シーンには、後の仔羊、犠牲の仔羊のシンボルとして羊が置かれることも多いけれど、馬が首をのばして、鼻息を幼子に吹きかけて温めている、という図像もある。

光り輝く幼子をみなが取り囲んで崇めている図よりも、ずっとすてきだ。


様々な事情で貧困状態や困難な境遇にある人たちに、「無償で」「見返りを求めずに」ただ、できることをすること、上げられるものを上げること(それはボランティアでなくとも、祈りや想いでも、馬の鼻息だっていいのだ)がクリスマスのエッセンスなのだと、だんだんと分かってくる。


by mariastella | 2019-12-26 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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