マリア・デ・ジョルジさんは、イタリア人の修道女だ。特に仏教徒キリスト教の対話専門の神学者で、ローマでも教鞭をとった後、彼女の行き先はその後、日本になった。
1987年創立の九州の諸宗教対話、霊性交流センター「真命山」で創立以来30年働いている。
彼女は学生の頃は人類学を専攻してザイール(今のコンゴ民主共和国)にフィールドワークに行った。その時にアフリカに魅せられたので、マリア布教修道女会のシスターになった後で日本に派遣されるときになった時は不満だった。マリア布教会は、中国への宣教を目的に19世紀創立の聖ザベリオ宣教会系の女子修道会だったので、アジア志向だったわけだ。
その後、日本で働くことは聖霊の導きだったと感謝し、作務衣を着て瞑想、黙想実践も実践してきた。
「宣教」は難しい。理論と現場、知識と霊性、東洋と西洋、さまざまなステージがある。
ローマのグレゴリアン大学で宣教学を教えていた彼女の論文は『浄土宗とキリスト教における恩寵による救済』だ。龍谷大学でも教鞭をとった。
キリスト教の修道女が日本の男性仏教者らと対話する困難は、と聞かれて、マリアはこの30年ですっかり変わった、と答える。
30年前の異宗教間対話は、ポストモダン的な相対主義だと思われていた。対話するうちに、どの神、どの霊性を信じているのか分からなくなる。
でも今は、生産的な対話が成立するには双方が明確なアイデンティティを持っていることが必要だと分かってきた。
神学理論を前面に出して対話を始めるなどもってのほかで、最も大切なのは「謙虚」だ。
対話の相手を文化や伝統や歴史を担った人としてそのまま認めることが必要だ。
互いのアイデンティティの「型」は違うので、同じ「型」に仏教やヒンズー教やイスラムなどを詰め込むわけにはいかない。
異宗教間対話はいつも、途上にある。
歩き続けないと、途絶えてしまう道だ。
「平和」の構築と同じだなあ。