(前の記事の続きです)
Q : 根っこにあるキリスト教って、同じ意味で我々はギリシャ文化の根っこもあり、古代ローマの根っこもあるのでは?
RD : ある過去の事象にもう「未来」がつながらないなら、我々はそれを博物館入りさせる。文化や伝統を博物館マターにすることは避けなければならない。
今のヨーロッパは自らを博物館化しているかに見える。私が『反ヴェネツィア』で言いたかったのはそれだ。ヴェネツィア化してはいけない。
今のフランスがまるでブランド品と観光によってのみ存在しているかのように見えることは看過できない。それはグローバル経済の波に乗る意味では有効ではあるけれど、「存在の仕方」ではない。
言い換えると、今のフランスは、発信するものよりも、受け入れるものの方が多い。ものけれども、ヴァレリーが言ったように、偉大な文明というものはいつも、外に発信するものと外から受け取るものを総合したものだ。
ローマ帝国の文明はまさにそうだった。
今のアメリカの力は民族的、人類学的、文化的に、ヨーロッパ、アジア、ラテン、アフリカから吸収したことが、巨大な発信力になっていることから生じたものだ。コスモポリタニズムは、アイデンティティの否定などではなく、アイデンティティを増強、増大するものだ。
Sekko : 『Contre Venise 反ヴェネツィア』は1995年の著作で、ナポリが自然体で生き生きしている町なのにベニスは観光客用の美術館化しているというテーマだ。
まあ、言いたいことは分かるし、観光がコストパフォーマンスを高めるためにステレオタイプ化しているのも分かる。それはフィレンツェなんかもそうで、フィレンツェについてもいろいろなフランス人が美術館化を指摘していた。前にフィレンツェについて書いたことがある。
うーん、インターネットの普及でますますテンプレート化する観光もありそうだ。
変化したのは、お決まりの観光スポットでスマホで自撮りしてインスタに上げたりするパターンだろう。こうなるともう、発信も受信も、限りなく軽く浅いものになりそうだ。カルチャーショックによるアイデンティティの増強とか拡大なんて、それこそ「過去のもの」になっていたりして…。
(続く)