Q : 今の時代によく引用されるのはルネ・シャールの「我々の相続するものにはなんの遺言も残されていない」といういうフレーズです。こういう風には考えたくないですが…
RD : 私もだ。ルネ・シャールは時として神秘的、時として逆説的な多くのフレーズを残したけれど、全てを受け入れる必要はない。遺言(testament、大文字だと神との契約の意味)は二つもある。旧約聖書と新約聖書だ。我々の相続した遺産はそこから来る。それだけではないけれど、それをないことにするのは難しい。
Q : それなのに、今は、解放の時代、生物学的存在から抜け出ようとしています。どの人もまるで自分だけが自分の起源でありたいかのようです。
RD : 人は自分自身の子供にはなれない。自分では命を与えられない。命は与えられたものだ。育っていくものを自作するもので置き換えるのは人類学的な狂気だ。シルヴィアヌ・アガサンスキーは勇気をもってそう言った。
Q : でもあなたはこの問題について立場を明確にしていませんね。
RD : 喧々諤々のフィールドでは発言がすぐにカリカチュラルに切り取られたりレッテルづけされたりする。メディアは疲れる。僕は事件そのものよりプロセスについて考える方を好む。
Sekko : シルヴィアヌ・アガサンスキーは1945年生まれの哲学者で、デリダの愛人で子供を産み、結婚したリオネル・ジョスパンの子として育てたことでも有名だ。
で「この問題」というのは、今フランスで認められるかどうかで議論されている「女性同士のカップルが養子をとることや、代理出産などの問題」のことだ。
アガサンスキーはフェミニストであり、社会党が成立させた「同性婚」法については賛成派だったが、それ以上の両性の無視に反対の立場をとっている。
フランスでは、「同性婚」反対が、ブルジョワ保守カトリックのレッテルを貼られたことの延長で、次の一歩進んだ法律制定にも同じようなレッテルが貼られる。けれども、個人の平等である「同性婚」と、親子の関係とは別の問題だと考える人もいるわけで、アガサンスキーは反動的だと非難されるリスクをとって反対している。
レジス・ドゥブレもそういう立場なのだろう。
思えば、「自然」や「動物」を礼賛するエコロジー台頭の一方で、人間の「生産」についてだけは「テクノロジーを駆使し、自然条件から解放されて欲求を満たす」という動きが止まらないのは、ある種の「思考停止」を感じてしまう。もちろんその背景にはエコロジー産業もテクノロジー産業もあるわけだ。
でも、「結婚制度」は「制度」に過ぎないけれど、「出産」や「誕生」は利権やイデオロギー別の次元に属する。
それを「聖なる」次元だと見なすかどうかが、文明が形成しされたベースにある宗教観にかかっているのかもしれない。
(続く)