コロナウィルスとカトリックメディアではいよいよコロナウィルスの不安が煽られている。フランスでは2/26にあらたな死者が出たが、肺炎が重症化してパリの病院に送られた後で亡くなり、その後で新型コロナだと判明した。この人は中学教師で2/12から病欠扱いだったので、それまでに接触した生徒や親もいたし、最初の病院では隔離されていなかった。中国やイタリアと接触はない。政府は1500万枚の外科型マスクの増産にかかっているけれど、アマゾン他のネットで高値が付き始めた。薬局になくても、DIYの店にウィルスを防ぐマスクがあるというが、3枚入り6ユーロだった。 こういうニュースばかりつい追ってしまうので自分でも嫌気がさしたので、この記事は、まったく方向を変えてカトリックとコロナウィルスについて書いてみる。 今はちょうど復活祭前の四旬節に入ったところだ。2/26が灰の水曜日だった。 前年の「枝の日曜日」に祝福してもらった枝を燃やした灰で額に十字を書いてもらう。 ![]() ![]() ルルドの聖母が苦しそうなイエス像を見上げている感じ。 ![]() カトリックではこの「灰の水曜日」と「聖金曜日」が大斎で食事制限。フランスのやり方だと、朝はコーヒーとパン、昼はゆっくり食べて夕方も紅茶とパン、などでOKとなる。昼と夜を逆にしてもいい。しかも、通常の一食も、別に肉を食べてもかまわない。昔は毎週金曜が肉断ちの魚の日だった。金曜に肉を犠牲に捧げるのはイエス・キリストだけ、だからというわけだ。しかも18才から60歳の健康な人だけが対象だから、ラマダンよりもユルい。もちろん修道院などでは四旬節中ずっと肉なしを守るところもあるし完全断食に挑戦する人もいる。ただし日曜日は別。でも、肉を食べないというのは、実はこの食事規定でなく、もう一つの規定に添っている。つまり、四旬節中は、節制(禁欲)と祈りというのがずっと求められる。肉を食べないチョイスというのはこの「節制」に属するわけだ。 この節制、禁欲、というのは、禁酒でも、禁煙でも、スマホやゲームをしない、ネット配信の映画を観ないということなどでもいい(日曜日は解禁してもいい)。 その効用は、自分が実際に日頃依存しているのは何かということに気づくことにあるという。ずっとだらだらと習慣のようにやっていることをやめてみることで、自分にほんとうに必要なものは何かとか、別の視界が開けてくる。 そして、「祈る」こと。「祈ることはすでに期待することだ」という言葉がある。日本語に即していうと、祈ることで「期待」、「期」を「待つ」、そこに希望が生まれてくる。 で、今年はコロナウィルスの感染者、犠牲者とその家族、感染地域の人々などのために祈る祈りがもう紹介されている。 確かに、何時収束するか分からない感染症に対していつもびくびく脅えているよりは、この病気に関する報道をネットサーフィンするような「依存」状態を断ち切って、その時間を祈りに向ける、という方が、ストレスが減って免疫力が高まるかもしれない。 カトリックで伝染病の守護聖人と言えば、フランス人の聖ロックだ。14世紀に、フランチェスコの第三会に入って、20歳で全てを捨ててローマに向かったらペストが蔓延していた。病者を献身的に介護し、奇跡的に治癒を与えたこともあった。けれどもフランスに戻ると自分も感染していることが分かって、自分で小屋に閉じこもって隔離するけれど、水が湧き、一匹の犬が毎日パンを一切れ持ってきてくれた。 ようやく回復して故郷に戻ったのに、スパイ扱いされて投獄され5年後に獄中で死んだ。でも、聴聞司祭によって彼がペストの治療をした聖人だと分かり、以来、伝染病の度に人々が神への取次を祈る対象となっている。もちろん、パリには19世紀のコレラの猛威の時に「効験あらたか」だった「不思議のメダイ」もある。守護の聖人や各種メダルのような、祈りを支える依り代的なグッズがあるだけで気持ちが落ち着くかもしれない。 中国では、2/3にコロナに感染した98歳のカトリック元司教が、10日後に全快した。 このウィルス発症者のうち現在最高齢の全快患者だ。98歳の高齢の上に不整脈と胸水の持病があったという。それなのに胸部にカテーテルによるドレナージを使用して治癒した。彼は聖ヨセフ修道会の20人ほどの司祭や何百人もの修道女らと共に数年間の「再教育」の投獄を生き延びてきた人だ。きっと多くの人が彼のために祈ったんだろうなあ、と思う。 イタリアのロンバルディア地方で最初の感染者が出て、瞬く間に広まったことはよく知られているけれど、その38歳の人の出身地が人口4500人の村だ。いつも平和でのどかだった村に世界中のジャーナリストや医療関係者らが押しかけた。学校、商店なども閉鎖され、交通も遮断され村全体が隔離状況になった。人々の不安は想像に難くない。もちろん教会のミサも禁止だ。教区司祭ドン・ガブリエルは、「試練の中にある兄弟姉妹たち」にメッセージを送った。(以下意訳) この試練は、思ってもみなかったものだが、この世界はいかに一つの大きなファミリーなのかを気づかせてくれた。公開ミサも捧げられないので、このような状況では祈りなど何の役にも立たないと無力感におそわれるかもしれない。だからこそ、祈ろう。この驚き、苦しみ、この恐怖を神に吐露しよう。 昨日私は、灰の水曜日に読まれるヨエル書(2-17)のことを考えた。そこには「神殿の入り口と祭壇の間で/主に仕える祭司たちは泣き/言うがよい。/「主よ、あなたの民を憐れんでください。」とある。 私自身も聖母像の前で泣いたことを隠しはしない。私たちの祈りの叫びを主のもとに届けてください、と頼んだ。祈ることはすでに期待することだ。 私は3人の助祭らと捧げるミサの中であなたたちすべてのことを想起している。だから、ミサの鐘が聞こえたら、全ての人に種の犠牲を捧げる司祭に心を寄せてほしい。何よりも、ウィルスに感染した人やその家族のことを思い、彼らを励まし、感染に立ち向かう医療者のことを思ってほしい。祈りの中で一つになろう。 うーん、フランスの田舎にもあるけれど、村中がカトリックで、別に特に「敬虔」というわけでなくまあ町内会みたいな感じの村で、突然こんな試練が降りかかった時、こんな風に呼びかけてくれる「みんなのお父さん」であり「神の子」として兄弟でもある司祭がいるなんて、やっぱりいいなあ、と思う。 「困ったときの神頼み」というけれど、「困ったとき」はいつやってくるかもしれないから、「神の居場所」は確保したいというか、どちらを向いたら信頼できるのか、という指針があるのは羨ましい。 というわけで、これからの四旬節、復活祭に向けてほんとうにみなが「復活」することを祈って、行き過ぎがなく正しい予防や思いやりを模索しながら過ごしましょう。 (これからコロナ関係で思いついたことがあれば「たかが、肩」のブログに書きます。このブログはもうすでに予定稿で復活祭まで埋まっているので。その代わりに、「トリオ・ニテティス」のブログを再開する予定で、またお知らせします)
by mariastella
| 2020-02-28 00:05
| 宗教
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