ホフマン物語とオランピアこれは新国立劇場で4/19から上演予定だったオペラ『ホフマン物語』のプログラム用に依頼されて書いた原稿です。 公演が中止になり、プログラム製作も中止になりました。 これまで読響やN響のために書いたことはありますが、新国立劇場は初めてだったので楽しみにしていたのですが。 芸術監督の大野さんも合唱指揮者さんの三澤さんも顔見知りなのでせっかくご縁を感じていたのに残念です。 ホフマン物語の第一幕はオートマタに恋をしてしまう話です。「砂男」の怖い話でもあります。 では。 機械仕掛けの恋――人はなぜ自動人形を愛するのか 『ホフマン物語』の最初の「恋」は、機械仕掛けの人形オランピアへの恋だ。 時計や自動楽器、オルゴール、からくりなどの技術は、いろいろな文化の中で発展してきた。命のないものを思い通りに動かすことは人類共通の夢だった。その中でも、「実物大」の人形を動かすという伝統は、特に一神教文化圏に一貫して見られるものだ。旧約聖書の天地創造には神が土から人を形づくり、鼻に「命の息」を吹き込むことで最初の人間アダムが生まれたとある。ユダヤの伝承にあるラビの呪文で動く泥人形ゴーレムから、理想の人間として死体から怪物を創ったフランケンシュタイン、ディズニーアニメで有名になったピノキオ、『ホフマン物語』やバレエ『コッペリア』の原型となったホフマンの『砂男』の機械人形まで、いろいろなものがある。恋愛の対象となる人形としては、オランピアの他に、ギリシャ神話のピグマリオンが彫った理想の女性像ガラテアやヴィリエ・ド・リラダンの小説『未来のイヴ』に出てくるエジソンの発明したアンドロイドのアダリーなどがいる。そこに共通しているのは、生身の人間を超えたものを創造して支配したいという欲求だ。 思えば、動物として非力な人類は、様々な道具を作り、技術を高めることで、地球という惑星を「侵略」してきた。それでも、老いや病や天変地異を前にした個体としての人間の無力は変わらない。その中で、優生思想や選民思想も生まれる。そのような夢が、西洋近代の人間機械論の中で、「完全な人間」の創造という思想を育んだ。けれども一神教文化圏では、神ならぬ人間が「創造者」に取って代わるという畏れとタブーがついてまわる。日本生まれの「鉄腕アトム」などのベースにあるオプティミズムとは一線を画した「聖なるものへの冒涜」意識が巣くっているのだ。実際、多神教的アニミズムの世界には、自然を人間の霊魂で満たしたり、呪術的心性を評価したりするナルシシズムがある。フロイトは全ての人の発達段階にあるこの原始的なアニミズムの過程が一神教文化では抑圧されているからこそ、ホフマンのオートマタが「不気味さ」をもたらすのだと言った。 科学が発達すると、「呪術」に依らず機械に命の息吹を吹き込んで擬人化するという欲望が生まれた。その逆にあるのが、人間を機械化するという欲望だ。人間と機械を合体したサイボーグによって機械的な「性能」だけではなく、知性も高めようというものだ。「霊的オートマタ」という言葉も現れた(スピノザ『知性改善論(1662)』)。人の知性には、主体として物語るものと、主体抜きで論理を進めるものとがある。人間を自動機械化して「考える主体」を切り離せば、精神が情動から解放される。そこで見えてくる「真実」は、光の存在が光と闇を浮かび上がらせるように、真実ではない虚偽を明確にしてくれるというのだ。西洋の科学も哲学も、いつも「真実」への到達を模索してきた。 では、理想を投影してオートマタを造ることと、そのオートマタに恋をするということはどう違うのだろう。 『ホフマン物語』でのオランピアは、ほとんどの演出でぎこちない滑稽な動きをする。とてもホフマンが恋におちるような「理想の女性」には見えず、むしろ、生身の歌手がいかに人形らしくふるまうかが見せどころだ。コッペリウスのメガネをかけているホフマンには人形の不自然さは見えず、その人形がソプラノのアリアを歌い出すと、まさに「命の息吹」が広がっていく。コロラトゥーラの難曲で、時々ゼンマイを巻かれて歌い続けるのだが、歌えている時はまさに「人間業」を超えているかのようなパフォーマンスを見せる。 もしAIと生身の歌手の歌唱対決があれば、正確さや音域では明らかにAIが勝つだろう。そんな対決が存在しないのは、音楽とは音高やリズムだけでなく、まさに息遣いによって人と大きな命をつなぐ「場」で成立するものだからだ。それなのに生身の人間よりオートマタに魅惑される人がいるのはなぜだろう。 それは、まさに、オートマタという偽の命の創造主を自負する人間の傲慢さに由来する。人間は、生けるものを創造するのは神の業であるというタブーを破って、「呪術」にも頼らず、科学技術で生命を操作し、それをビジネスにまでするという段階に突入した。「無償で与えられた命」、誕生と死という神秘を切り捨てて、人は「全能の神」に取って代わる。ところが、自ら神になるということは、自分を超える神を失うということだ。その傲慢の中で人は霊的なものから切断される。科学技術とその「値段」にのみ操られる「全能の人々」の間でホフマンがオートマタに恋するという非合理な現象は、人形を依り代として霊的なものとつながりを回復しようとする無意識の試みなのかもしれない。もとより、人と人との連帯は、個々人の生物的限界を超えた「場」においてほんとうに可能なものだ。それは共通の神話や伝説、「ご先祖様」であったり「自由平等」などの普遍的「理念」であったりするだろう。 それらの絆が失われ、個人が消費者として分断されてしまう社会では、ホフマンがオランピアに恋したように、人々がヴァーチャルな世界に自分を投影してしまうことがある。「アニメの女性に恋をする」現象は今や決して奇異なことではない。 それとは別に、ペット型ロボットというものが存在する。ペット不可の集合住宅に住んでいる人やペットの世話ができない高齢者などが、話しかけたり触れたりするとさまざまな反応をするロボット犬は進化を続けている。ホフマンはオランピアが人形だと知って絶望したし、オランピアは自分の「創造主」に壊されてしまった。けれども、精巧なロボット犬を本気で愛する人々は、それが「生身」でないことを知っている。彼らにとってロボット犬は、「神」や「霊」の依り代ではなく、自分の愛の依り代なのだ。エゴイズムや自己責任論がはびこる中で人は警戒し合い、無償の愛をくれたり愛を受け入れてくれたりする関係を築きにくくなっている。そんな時、「被創造物」であることを隠さないペット・ロボットを擬人化することは、愛の一つの表現形式なのかもしれない。「本物」と競合することなく謙虚に愛を受けとめるオートマタは、繋がりを求める人々に喜びと自己肯定感をもたらせてくれる。 『ホフマン物語』の中で造られ、動き、命を歌い上げ、やがて壊れ、壊されるオランピアのエピソードは、まがい物への恋と失恋の悲喜劇ではない。私たちをほんとうに命あるものにしてくれる愛の生まれる場所についての永遠の問いかけなのだ。
by mariastella
| 2020-04-28 07:00
| 音楽
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