フランス・コロナ 外出規制6週間目に。三月歌舞伎で「親孝行」を考える。入院者数は減り、病院のキャパは戻ってきつつあるフランスだけれど、相変わらず高齢者施設での犠牲者を含めた「死者数」は増えているので、本当に、「外へ出たらウィルスが蔓延」なんだろうか、という気分が払拭できない。 でも、マクロンが高齢者や慢性病のある人は5/11の後も自粛を、などと言ったこともあって、「元気な高齢者」の抗議や反発がますます強くなってきた。「自分たちを子ども扱いするのか」というわけだ。 日本の「死者数」はフランスより相変わらず2桁少ないのだけれど、BCGやマスクや「遺伝子的なもの」だけとは思えない。日本のBCG株は戦後フランスから日本とロシアに分けられたものだそうだから、2007年まで接種が義務だったフランスもそう変わるとは思えない。でも戦前生まれの高齢者なら日本でもフランスでも接種していなさそうだし、戦後生まれも60代70代のシニアの「免疫」が果たして持続しているのかもよく分からない。 感染だけに限ると、日本はノロウィルスが流行った後でどこでもアルコール消毒の容器が置かれるようになっていたからそれは関係しているかもしれないと思う。でも前にも書いたけれど、3月にヨーロッパ旅行した日本の学生などが感染しているのを見ると、彼らが突然キスやハグや握手をして室内を土足で歩いたとは思えないから、やはり近距離での陽性者との接触とかドアノブとか手すりとかその他いろいろの接触でうつったのだろう。 でも、日本で、高齢の犠牲者が少ないのは、都会にいる若者や現役世代の多くがそもそもあまり高齢の親と交流がないからかもしれない。盆と正月だけの数日の帰郷とか、東京で働く子供が何十年もの間、正月の三日間しか地方の実家に帰らないというケースも決して少なくない。 日本では、ラテン諸国はキス、ハグなどべたべた接触するから、と言うけれど、それよりも、ラテン諸国では、親の所に毎週末食事に行く、きょうだいたちも気軽に集まる、ということが多いという習慣の方が感染との関係が大きいのかもしれない。会社から遠くないところで一人暮らしする祖母の所で週一回昼食を食べるという孫息子がいたりする。学校のバカンスが多いのに共働きの親が多いから、孫たちが祖父母の家や別荘でバカンスを過ごすのも普通だ。今回のフランスでの「高齢者に感染させないためにうちから出るな」というメッセージがわりとすなおに受け入れられたことにはこと、そういう「密な交流」という背景がある気がする。現役世代や若者たちはそろって、「親を守るために行き来をやめる」というのに同調して自粛する。だからこそ、こう外出制限が続くと、高齢者側からの抗議が目立つようになったのだ。 では、日本はどうだろう。私のステレオタイプ的なイメージでは、儒教的と言うか、親孝行、年長者を敬うという文化だろうと思っていたのだけれど、実はそうでもない気がしてきた。子供が親を守って犠牲を払う、という規範より、親が子を守って犠牲になる、という方が強力なのかもしれない。それはこの外出規制の中、歌舞伎座の三月公演を全幕ネットで無料で視聴できると聞いて、早速観た時に感じた。 楽しみにしていた『新薄雪物語』。最後の幕はないのだけれど、圧巻が、「広間・合腹」の三笑いなのだ。 これは、それぞれの息子と娘が恋に落ちたのに、政治的な罠にかかって断罪されそうになった時、彼らの父親たちが、蔭腹を切る。つまり、子どもの首を差し出す代わりに逃がしてやり、自分たちが切腹する。けれども介錯はさせずに腹にさらしを巻き、子供たちの首を差し出すはずの首桶の中には子供の助命嘆願書を入れて、それを自分たちで公儀に持っていくのだ。その後で命が尽きる、ということになる。 だから父親たちは瀕死であって、気力だけで動いている。鬼気迫る。 そして、そのことを後悔せず満足していることを示すために、笑う。妻にまで笑えという。 高度な演技力が要求される。圧倒されたけれど、後味がすっきりしない。 で、これが昼の部のメインで、夜の部の『梶原平三誉石切』も観た。主演は松本白鸚(私にとってはいつまでも染五郎。その後幸四郎になったところまではついていけたけれど今は白鸚だ。77歳)。 この演目は前に実際に観たことがある。でも、今回は、『新薄雪物語』のすぐ後に観たせいか、あるいは外出規制で閉じこもっているストレスのせいか、ショッキングだった。 源平の戦いの文脈で、敵に名刀を売りに来た父娘がいて、それが名刀かどうか二人を重ね切りして確かめようということになる。けれど切って捨てることができる「死罪確定囚」はあいにく一人しかいない。どうしても金が必要な父は、娘に用事を言いつけてその場を去らせて、自分がその囚人と一緒に切られることを申し出る。梶原平三はそれを哀れに思い、上に置いた囚人だけを切る。実は平三も源氏のシンパであり、他の平家勢が去った後で名刀で石を真っ二つに切って見せるという話だ。 死刑囚の方は「5人殺し」とかで、いかにも同情を引かないように描かれているのだけれど、父娘の方はちがう。父が娘を去らせたのは、もし娘の前で試し切りを志願したら、娘が「それなら私を」というに決まっているからだと判断したのだろう。 うーん、2つの演目、連続して、父親たちが、息子や娘の命を救うために率先して自らの命を差し出している。 こういうのを見ていると、「親孝行」の話よりも、親が子のために犠牲になる、というストーリーの方が実は日本人の心の琴線に触れるのかも、と思ってしまった。(いや実はこっちが「普通」で、だからこそ「親孝行」ものが賞賛される?) 思えば、「ひきこもり」の子供を決して追い出さなかったり、今回の外出自粛でも都会で一人暮らしの子供を心配して実家に帰らせたり、日本では「親が子を最後まで守る」方が、実は「子供が親を守る」よりも強いのかもしれない。この二つの芝居ではしかも、犠牲になるのは父親たちだ。いわゆる「母が身を犠牲にして子を守る」というシェーマとは違う。「儒教的なところ」も感じられない。 ともかく、この二作、演技に感嘆したけれど、時節柄、実に複雑な気分になってしまった。 まあその後で、「口直し」というか、『高坏』の楽しい高下駄のタップダンスなども観たのでほっとしたけれど。(菊五郎や菊之助でなくて幸四郎なんだ。) オペラではロッシーニのフランス語オペラ『オリー伯爵』全幕を見た。これも十字軍や隠遁聖者の騙りなど、背景をいろいろ考えさせられる。女装もあって、歌舞伎というかバロックっぽいテイストだ。 バロックと言えば、最後にバロックバレーのレッスンに行ってから6週間にもなるけれど、クリスティーヌが自宅のサロンからいろいろ発信してくれている。分かち合いのあるところに「命」がある。 これはビバルディの「春」をバックに即興で踊る「籠の鳥」。うーん、言いえて妙。
by mariastella
| 2020-04-22 01:07
| 演劇
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