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L'art de croire             竹下節子ブログ

熊井啓監督の『深い河』と「コロナ禍」

遠藤周作原作で熊井啓監督の『深い河』を偶然ネットで視聴した。

大学同級生である秋吉久美子の美津子と奥田瑛二の大津が、神戸出身と長崎出身という設定が遠藤周作の心象風景に関わっている感じだ。

うーん。

コロナ禍シーズンの今視聴すると、ガンジス河の密集シーンがすごいインパクトだし、あのインドが、今回のコロナ対策でロックダウンしてガンジスの水が澄んだという映像も最近見ることができたので、「全てを包む深い河」って何だろうって思ってしまう。

工場廃棄水やプラスティックゴミも、各種細菌やウィルスも、「人間の深い河の哀しみ」で許容していいわけではない。

上映当時に広く感動を与えたというラストシーン近くの、サリーを来たヒロインのガンジス河の沐浴シーンも、あんな衛生状態と集団エクスタシーみたいな場所で恍惚としているなんて、「異文化体験」だから世界観が変わる、みたいな安易なシナリオはもう通用しないなあ、と遠い目になる。

遠藤のキリスト教と言えば、母親によってキリスト教徒になったけれど、長崎の代々の信者家庭などと違って家庭の事情や違和感があって、それと戦争体験のトラウマと結核闘病が重なって、日本風の母性的汎神論的な宗教観と、ヨーロッパ合理主義的な善悪二元論的厳しさの間の確執に悩み続けたというやつだ。

でも、はっきりいって、日本のキリスト教とヨーロッパのキリスト教の相容れなさ、というより、「西洋コンプレックス」を宗教と切り離せなかったわけだ。しかも仏文出身の遠藤はフランスに留学。

でも、彼の見た「フランスのカトリック世界」って、共和国主義の中で、すでに特殊なサバイバルを遂げた代物で、当時、多分「上から目線」たっぷりのものだったのだろう。

遠藤が必死に主張しなくても、イエス・キリストの「教え」は善悪二元論と戦う歴史だったのだし、ヨーロッパでは「自然」と「人間」が対立するという構図も、肥大した資本主義経済の利潤追求による自然搾取や環境破壊に対して21世紀のフランシスコ教皇が最も激しく批判している。各種エコロジー産業のロビーから断固として距離をおける「元首」はこの教皇くらいしかいない。

で、「ヨーロッパの洗練」へのコンプレックスから「インドの混沌」の中に、忘れていた救いを求める、という『深い河』の構図がある。でも、これも、コロナ禍で昨今、いかに「欧米」は不潔で手を洗わなくて土足だから感染爆発したのだ、などとと言いたてられているのを考えると皮肉だ。「ヨーロッパの洗練」幻想はいずこへ。

また、そもそも、「インド・コンプレックス」は、フランスでは有名なカルチャーショック・シンドロームでもある。カトリック教会から離れたインテリ無神論者、不可知論者のフランス人ががインドに行って「覚醒」して戻ってこない、という現象はニューエイジの流行りだった。

そういう人に限って、カトリックの洗礼をわざわざ取り消してもらう手続きをするくらいに生真面目だったりする。

といってもフランスの今のカトリック(幼児洗礼を受けている人)のマジョリティは、日本の「仏教徒」のマジョリティと同じくらい冠婚葬祭的な「宗教」との付き合い方だ。

日本でもなおさら、この映画のように、カトリック大学の哲学科の学生だった大津が、学内の聖堂で祈っているのをからかって、誘惑して成功して「神に勝った」と得意になるほどのこだわりが「非信者」側にあるとも思えない。

もう一つの、戦地からの退却でのカニバリズムがおそろしいトラウマだというのは分かるけれど、それこそ軍付き司祭や心理セラピストたちが世話できない時代と状況があった。カトリックでは飢餓におけるカニバリズム自体は「赦される」という例がアンデスの飛行機事故の遭難事件でも言われていた。

PTSDへの対応は、なんだかんだ言っても、それこそ教会の告解システムやら免償システムと対抗して進化してきたキリスト教文化圏での方がうまく機能しているかもしれない。

これも、今話題の「アフター・コロナ」ではないけれど、戦後の日本が数々のトラウマを「なかったこと」にして、ひたすら経済的復興に走ったことが、この映画の登場人物の人生の「不全感」の基盤にあるのだろう。それを考えても、「アフター・コロナ」は、その前にあった繁栄や成長の幻想に戻るのではなく、コロナ禍で心身、または霊的に傷ついたものをしっかりと「癒す」ことを優先的にしなくてはならない、とあらためて気づかさせてくれる映画でもある。


第二次世界大戦時代の悲劇を描いた映画というのは結構観たことがあるし、人間の実存の苦しみや「業」や罪悪感などの普遍性は時代を超えて伝わるし、共感もできる。

それなのに、『深い河』のテーマの扱い方がこうも古びて見えるのはなぜだろう。遠藤周作の悩みの根源にある「西洋キリスト教と日本的汎神論的母性」というとらえ方自体が、実は極めて特殊な時代の特殊な視点によって構築されたからだろうか。

「生まれ変わり」というのが日本的な死生観の慰めの一つになっているかのような描き方にも疑問がある。

「生まれ変わり」は仏教の影響が習合した死生観の一つで、必ずしも日本人のルーツにあるわけではない。

その意味で、映画の中で、死の間際の妻が「生まれ変わるから私を探して、見つけて」と言い残すのは、美談に見えるのかもしれないけれど、私には妻の無意識の復讐みたいに感じられた。生前妻にすべてを頼りきって仕事に邁進して妻を顧みなかった夫が、妻を失ってはじめて妻を永遠に求め続けるというシナリオのようだ。

『超死生観』(フリープレス)に書いたように、やはりここは、どうせ死ぬのだから、たとえわざとらしくても、「ずっとあなたの側にいて見守っているからね、困ったことがあったら私のことを考えてね」とでも言い残して死ぬのがいい。

そう言い残してくれた人の姿を心の中に抱き続けるのはいい連鎖の始まりになる。

「あなたが私に何をしてきたとしても私はあなたを無条件に守ってあげる」というのは遠藤も追い続けた母性の幻想でもあるだろう。

それはまた、「第二ヴァティカン公会議以前のカトリック教会」に阻まれて遠藤には届かなかったのかもしれない十字架のキリストのメッセージでもある。

この映画が今の私にとって「古く」思えるのは、世代の差、時代の差、地域の差というものだけではないと思う。

80代で、「洗練のヨーロッパ」ではなく、激動の南アメリカで生きてきたフランシスコ教皇が、今、ここまで非教条的な自由さで地球レベルでの「成長戦略」の「過ち」を先駆的に糾弾している。

インドと言えば、遠藤と大して年の違わないパリ外宣のルグラン神父のインドでの自由さもあらためて思い出す。


「異端」だの「破門」だのに怯えていた大津がフランシスコ教皇やルグラン神父に会えればよかったのに。





by mariastella | 2020-05-25 00:05 | 映画
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