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L'art de croire             竹下節子ブログ

フランス・コロナで考えたこと-- フィリップ・ロスの『ネメシスたち』

「伝染病文学」「は数あれど、ラジオで、これが最高峰だとアラン・フィンケルクロートだとが言っていたのを聴いて思わず読み始めたのがフィリップ・ロスの『ネメシスたち』だ。

ちょうど2年前に世を去ったフィリップ・ロスといえば、学生時代に多くの若者と同じように読んだ『さよならコロンバス』を真っ先に思い出す。

四部作の『ネメシスたち』 Nemesesで、日本語の訳は出ていない。

時は1944年夏のNewark。主人公のバッキー・カントールはユダヤ人街のスポーツセンターで子供たちのスポーツ指導をしている。近眼のために兵役を免除されたことで、他のアメリカ人が大西洋の向こうで戦っていることに罪悪感を抱いている。そこで流行したのがポリオ。イタリア人街から始まった。その頃このポリオの感染源はまだ分からず、蠅だとか野良猫だとか言われていた。

Buckyの世話する生徒たちも3人死んだ。ポリオは呼吸器にくると死を招き、そうでない時は下肢の麻痺を起こす。いわゆる「小児麻痺」だ。婚約者の父である医師と共にBuckyは戦うけれど無力感に打ちひしがれる。神はどうして罪のない子供たちを苦しめるのか。

婚約者はBuckyにペンシルバニアのバカンス村インディアン・ヒルにいる彼女に合流するようよびかけ、水泳指導員のポストを用意する。

ところが、Buckyが着いてほどなく、そのバカンス村で最初の発症者が出、続いて二人が感染した。

Buckyは自分も感染していたことを知る。Newarkからインディアン・ヒルにポリオウィルスを運んだのは、無症状だったBuckyだったのだ。Buckyは後遺症の出た体で、婚約者とも別れた。27年後、スポーツセンターの生徒でポリオの後遺症を抱えた男(これが最終部の語り手となる)と再会する。


ポリオワクチンは戦後まもなく開発された。いったん罹患するといわゆる「特効薬」はなく、対症療法はない。

アフガニスタンやアフリカの一部などではまだ蔓延しているところがある。

ビル・ゲイツ財団がポリオ撲滅のためにこれらの地域で子供たちにワクチンを大量投与していることは知られている。

でもそのために多数の死者が出ているとも言われ、地球に増えすぎた人口削減のために計画されたのだという「陰謀論」も世間にはある。

新型コロナウィルスのためのワクチンの緊急開発のためにゲイツが莫大な資金を提供したことも、それによって得られる医薬産業の利益が絡んでいるとも言われているし、開発前から、このワクチンの危険性、毒性を喧伝する人もいる。


ともかく、2012年にフランス語訳が出てから、アラン・フィンケルクロートは『ネメシス』を高く評価していた。

彼のユダヤ性とフィリップ・ロスのユダヤ性、感染症におけるユダヤの神の問題(旧約聖書には「天罰」としての感染症をが現れる)などの関係を今回初めて考えさせられた。


そういえば、60年ぶりくらいに、突然、小学校のクラスの光景が浮かんだ。

この1944年のポリオの話を聞いても、私の世代にはもうワクチンがあったから関係ないよなあ、と漠然と思ったのだけれど、小学校のクラスに「小児麻痺」の男の子がいた。痩せた細い脚が曲がっていて歩けなかった。付き添いの人がいつもいた。でも、意外に短い期間だったのかもしれない。その子がどのように学校生活を送っていたのか記憶にないからだ。けれども、私と同じクラスにいたということは、私の同世代でもポリオに罹患した子供がいたということだ。その子が差別されていたとか同情されていたとかいう記憶はない。ポリオが「伝染病」だという認識もなかった。「小児麻痺」という病気があるという認識だけだった。


「ネメシス」はギリシャ神話の女神で、復讐の女神とも言われるけれど、その怒りは「ヒュブリスhubris」に向けられている。

人間が自信過剰、傲慢によって神を侮辱することを罰する女神だ。

フィリップ・ロスのネメシスでは、主人公のBuckyの抱く極端な罪悪感、自罰感情そのものが、「行き過ぎ」なのだ。

幼い子供たちが特に感染発症しやすく危険なポリオ・ウィルス。

どうして神は無垢の子供を罰するのか?

そんな神には信頼できない。

それが、人間の罪悪感となる。

人間が神となって、資本と科学の力で、感染症を撲滅しなくてはならない。


自然搾取による環境破壊という人間のヒュブリスが、目に見えないウィルスによって罰せられる。

しかし、そんなウィルスだって、資本と科学技術を投入、動員するという新たなヒュブリスによってコントロールできる。


神になれなくても、ギリシァ神話で活躍した「半神=英雄」になれるかもしれない。

人間の生老病死と「神」との関係は、こじれると、いつも、人間の側の過剰、行き過ぎへと向かう。









by mariastella | 2020-05-31 00:05 |
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