シャルル・ド・フーコーの「奇跡」列福列聖にまつわる奇跡好きの人間を久しぶりに満足させてくれたのは、5/27に、列聖が決定されたフランス人のシャルル・ド・フーコーのとりなしによる「奇跡」だ。 シャルル・ド・フーコーは 1916年に帰天し、1926年から列福調査が始まったけれど、列福に必要な「奇跡」の認定には時間がかかり、ようやく2005年のことだった。 シャルル・ド・フーコーという人はリジューのテレーズと同じく、20世紀のフランスだけでなく世界のカトリック界に最も大きな影響を与えた人だけれど、2人とも、それまでの聖人とは全然違っている。テレーズは生きている間、修道院にいて若くして結核で亡くなったのでこれという「業績」がないのにあっというまにアイドル(これは偶像という意味だからカトリック的にはまずいけれど)になった。 シャルル・ド・フーコーはモロッコの探検家として知られ地理学者として足跡を残したけれど、「司祭、宣教師」としては、サハラ砂漠にこもっている間に、ただ一人の改宗者も出さず、ただの一人にも「聖体」を授けなかった。ムスリムの国に暮らし、人々に慕われていたけれど、最初から、「自分は宣教はしない、回心を促さない、ただ、神の無償性を証しするだけだ」と言っていた。自分自身はもちろん毎日ミサを上げて聖体拝領していたけれど、厳密には、ただ一人では分かち合いの聖餐とは言えない。(しいて言えばハートの上に十字架が配される「イエスの聖心」への信仰はオープンにしていた) 彼の数奇な生涯についてはいろいろなところで読めるだろうからここには書かない。 貴族の家に生まれたのに、幼くして母を亡くし、父も亡くし、育ててくれた祖母が、シャルルが牛の群れに踏みつぶされるのではないかとパニックに陥って心臓麻痺を起こして幼い彼の目の前で死ぬ、というトラウマだらけ。軍人となった時、祖父にも死なれ、莫大な遺産を受け継ぐ。でも人生の意味は見いだせず、「家族の愛に恵まれなかった人が、放蕩を繰り返した後で神の子への愛に逃避する」タイプの「あるある」発心、回心じゃないかと思ってしまいそうだけれど、その後がすごい。 結局サハラ砂漠の隠遁所を襲われて暗殺された。そんな生涯のどこが「宣教師」なのかと思われるが、なんと彼の死後に彼の名を冠した300以上の団体が設立される。真の意味での宗教間対話の先駆者だとも評される。テレーズと同じく、死後の影響の大きさそのものが奇跡だ。 で、列聖されるために必要な、列福の後で起こった「奇跡」だけれど、珍しく「奇跡の治癒」ではなかった。 「奇跡の無傷」という類のものだ。2016年11月30日、歴史建造物修復を専門とする建築会社で働く21歳のシャルルという若い大工がソミュールのカトリックのリセにあるチャペルの補修工事に携わっている途中で足場から転落した。16mの高さから、チャペルの屋根を破り、床に逆さまに置いてあった長椅子の脚に激突した。椅子の脚が腹を貫いた。それだけでも、即死しても不思議ではないのに、彼は椅子の脚を腹に入れたまま立ち上がって歩いて助けを求めに行ったという。 病院に運ばれたが、医者は、この高さからの転落ではすべての内臓が破裂してもおかしくない、致命的だ、と診断を下した。その会社の社長は、事故の日はパリにいて、連絡を受けても病院に駆けつけられなかった。ところがちょうどその日はシャルル・ド・フーコーの没年百周年の前日で、社長を含めてすでに多くの人が、すでにシャルル・ド・フーコーに新しい奇跡をお恵みくださいと祈り続けていた時期だった。現場は、シャルル・ド・フーコーが軍隊にいた時に滞在していた建物の向かいだった。多くの信心会がシャルルのために祈った。教区民であり前週にシャルル・ド・フーコーへのノベナ(9日間の祈り)を終えていた社長が各種信心会に連絡したのだ。自分も徹夜で祈った。 社長が3日目に病院に駆けつけると事故に遭ったシャルルはけろりとしてベッドで身を起こしていた。何の後遺症もなく2ヶ月後には現場に復帰したという。どうして彼がダメージを受けなかったのかという理由を説明できる医師は、その後の検査も含めて一人もいなかった。 面白いのは、こういう「奇跡の認定」では、普通は、「奇跡」の恵みを受けた本人が敬虔だとか、神や聖人に祈ったとか、もともと修道者だとか、あるいはその後に回心を得て修道者になるとか、「奇跡にふさわしいコンテキストが必要とされる。ところが、この青年大工は別に教区の教会に通っていなかった。シャルルという名だから、シャルル・ド・フーコーに守護聖人となってもらえるのでぴったりだけれど、今どきの若者によくある綴りを簡略化する名付け方でCharlesではなくCharleだそうだから、洗礼名でもなかったのかもしれない。彼も奇跡認定には喜んでいるそうだけれど、回心を得てどうこうなったという記事は今のところ見つからない。 ただ、シャルル・ド・フーコーは誰を改宗させようともせず、神を信じていない人や神を知らない人たちの傍で信仰を証し続ける、という生き方を貫いた人だから、この多分「普通の青年」の幸運が晴れて奇跡認定されたことも矛盾はしない、とされている。 どんな事故でも、「奇跡の生還者」はわずかの確率であっても存在するのだろう。 どんな難病でも、わずかの確率で「自然治癒」に至る人が存在するのと同じだ。 あるいはこの青年の場合、シャルル・ド・フーコーの列聖のために必死で祈っていた人々のサイコ・エネルギーが時と場所にマッチングして、実際に何かの力が働いたのだろうか。 ともかく、こういう「奇跡」がこういう文脈で起こって、若い命が救われ、多くの人の善意や信仰を豊かにし、シャルル・ド・フーコーの名で慈善業に励む人々のモティヴェーションを高めてくれるのだから、やはり大いに意味があるのは確かなようだ。 奇跡を望む祈りがネットワークとして成立していて、聖人崇敬の中で絶えず更新され得るというシステムは、悪くない。
by mariastella
| 2020-06-18 00:05
| 宗教
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