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L'art de croire             竹下節子ブログ

聖書と「愛する」こと  その1

昨日の記事『ショーシャンクの空に』の中で、アメリカにおける「聖書」の特別なステイタスについてあらためて考えた。
アンディの冤罪を証言されるとまずいので口封じに殺された若者は、「聖書に手を置いて宣誓できるのか」と刑務所長に聞かれてもちろん、と答えたことが、決定的なデッドラインを超えることになった。

『聖書』は語源的に一冊の本でなく、図書館に近い文書群の意味だけれど、今でも世界中で最も多く翻訳され発行されている本だという。方言やマイノリティ言語も含めて2014年時点で531の言語の翻訳があるそうだ。

それでも、「聖書」を持っていない人は今のフランスでは50%を超えるそうだ。
で、ポーランドでは15%、USAは7%だそうだ。

アメリカ人のほとんどが聖書を持っているのは、合衆国教育の中に星条旗と共に組み込まれていたからだろう。ポーランドは、昔ながらのカトリック国が社会主義圏にあってもアイデンティティとして存続したことと関係があるのだろう。
フランス人で聖書を持っていない、というのは、むしろ、日本人と同じで「無関心」が多いと思う。
共和国の伝統でもあるインテリ左翼無神論者はイデオロギーだから、無関心どころではなく、教権主義などを批判、論破するためにカトリック史などを研究することもあるし、もともとブルジョワ家庭に育ってカトリック系私立学校にいた人もいる。何より、フランスの伝統文化、音楽、美術、建築、文学から啓蒙思想まで、カトリックの歴史や潮流やそれが「世俗化」して共和国普遍主義に至るまでの経緯を「教養」として知る必要がある。
日本でも、「西洋史、西洋文学、アート」などを専攻する人には「聖書」は必要不可欠だった。

フランスでも、日本でも、聖書を持っていない人というのは、無関心がほとんどだろう。フランスなら確信犯的な聖書焚書派とでもいうべき無神論者や他の一神教原理主義者などもいるけれど、たいていは、無関心だ。ある意味ではキリスト教精神を非宗教化した共和国主義が根付いたからだともいえる。

日本でキリスト教やキリスト教文化のことを研究する人がキリスト教信徒でないことはめずらしくない。西洋文化という一般教養の発展形だからだ。同様に、日本のイスラム史、イスラム思想などの研究者がイスラムに帰依しているムスリムではないこともめずらしくない。フランスのイスラム研究者なら、キリスト者のアイデンティティを認めながら比較宗教、比較文化として、アプローチする人はいる。

でも、たいていは、神学をやる人は「信者」であり、イスラム研究者はムスリムだ。

日本の、よく言われるような「正月は神社で初詣、葬式は親の代からの仏教宗派のお坊さんを呼んで」というタイプの宗教帰属意識のない人でも「一神教」の研究者になるというのは、世界的には特異だろう。

まあ、今は、ネットで聖書の必要章句を簡単に拾えるので、「世界一流布している本」という聖書の形容がいつまで続くのかは知らないけれど、キリスト教ではロゴスが受肉した、「神の言葉=イエス・キリスト」ということで、「聖書」に対する崇拝があって、フェティッシュな逸脱も続いていくのだろう。それが『ショーシャンク…』の伏線にもなっている。

でも、これだけ「通用」「流布」している本なのだから、フェティッシュなものでなく、その精神を世界平和の構築に役立てよう、という動きは今でも存在する。

「平和」に役立つ一番の教えは「汝の隣人を愛せよ」というやつだ。隣人とは何か、愛するとは何か、ということも実は繰りかえし丁寧に教えられている。それを丁寧に読めば、明快、かつ、社会進化論的にも説得力がある。

日本では聖徳太子の「和をもって貴しとなせ」も五箇条の御誓文も、「上下」相和しのように、社会の上下関係自体は前提になっている。
一神教は基本的に万物の創造主のみが「父」で、その父さえキリスト教では「父と子と聖霊」という関係性であり、ましてや人の間に上下関係はない。すべて、隣人だ。「相和し」争いを避けるというだけでは、絶対主義の独裁政権かもしれないし、ばらばらに引きこもる人たちかもしれないし、争いを避けて長いものに巻かれろという社会かもしれない。

では、「愛する」とは何か? (続く)


by mariastella | 2020-06-20 00:05 | 宗教
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