カトリックのミサにおける「聖体拝領」というのは小麦粉と水だけでできた薄い無酵母パンをキリストの体として拝領する。カトリックでは「化体」と言って、ホスチア(聖体パン)はキリストの体そのものなのだけれど、カトリックにおける「迷信的非合理的」なものを排するところから始まったプロテスタントではシンボルというか、見立てになっている。でも、カトリック世界でも長い間、「このペラペラの薄いホスチアがキリストの体なんて信じられない」と疑った司祭などがいて、その度に、ホスチアが血を流す、という類の「奇跡」が起きて記録されている。血の付いた布などが祀られているところもある。
ホスチアが「肉体」でワインが「血」なのだから、ホスチアが血を流す必要もないと思うのだけれど、『ベニスの商人』みたいに、血と肉を分けるのは難しい。
よく考えれば、ホスチアが「肉」に化ける必要はないので、「肉」が一種の神降ろしの儀式によってホスチアの形に化けるというか降臨するわけだから、別に肉の形や味がなくてもいい。それなのに、近代になっても、現代でも、このホスチアが肉に、という、カニバリズムっぽい「奇跡」はあちこちで起こっている。これはもう神というより人間のサイコ・エネルギーがよほどすごいのだろうか。
20世紀の終わり、「酒田の聖母像(1973年から101回涙を流した)」の巡礼から戻った韓国のカトリック信徒の中から、ジュリアという婦人が、ホスチアを口に入れたとたんにそれが血の滴る肉片に変わるという「パフォーマンス」を繰り返したことは有名だ。血の涙を流すナジュのマリア像と共に、ジュリアの「奇跡」は撮影され、世界中に配信された。
そういう「奇跡」をが「野放し」にされて崇敬の対象にされないように、カトリック教会はいろいろな「調査」をして、必要ならば司教が「奇跡」を認定するシステムがあるのだけれど、まあいろいろなケースがあるので、具体的に列福とか列聖の調査でなければ真偽が曖昧なままのものもある。真偽と言っても、どのみち「信仰」に関することだから、「今の科学では説明がつかない」というレベルの確認で、あとはそれが結果としてどのように福音宣教に役立ったか、というのが基準となる。
それなのに、21世紀の今も、「聖体が肉片に」というタイプの「奇跡」が新たに認定されているのだからアナクロニックというより、信仰のレベルでは時間の流れ方が違うのだろう。
しかも「科学」が発達したおかげで「調査」も精密になった。
2008年と2013年のポーランドでそれが記録されている。
ここでは2016年4月に「奇跡の特徴」を持つと司教に認定されたレニカのホスチアについて書いてみよう。(続く)