(前の記事の続きです)
Q : 実を見て樹の良しあしを判断するということですか?
A : この基準(聖母のお告げがキリスト中心から離れていないか、お告げを聞いた人が福音的生き方をしたか)は絶対ではあり得ません。判断の基準については慎重に、長い時間軸で考えなくてはいけません。中世には聖遺物のある聖地への巡礼が盛んでしたが、その中には現在「偽物」だと判明しているものがありますし、その聖人が存在していたかどうかさえ疑わしいものもあります。けれども、「奇跡」、「回心」、「奇跡の治癒」の例はいとまがありませんでした。
現代で言うと、メジュゴリエの聖母御出現があります。それについては現地の2人の司教が偽物だと弾劾していますが、ヴァティカンは断定を保留しています。メジュゴリエで起こった「恵み」は膨大なもので、それは、御出現の真正さを担保しているのではなく、巡礼者たちの信仰の在り方の真正さの徴しだと言えます。 イエスはこのようにして、純粋な心で彼のもとにやってくる人々の信仰を賛美するのです。
Sekko : メジュゴリエについてはいろいろな調査報告も含めて読んできた。当地を離れても毎日のお告げをずっと発信し続けている人もいて、発端はどうあれ、どう考えても、その背後にはビジネスも含む恣意的なバックがないとは思えない。カルト宗教にはまる人の心理を利用しているような面もあって、外から見ると「あやしい」のだけれど、ヴァティカンが絶えず警戒して逸脱を監視しながら、「民衆信仰」が必要としているものをリスペクトしているなら、新宗教教祖によるお告げにハマる人の被害を減らせるかもしれない。
こういうプラグマティズムが機能しているのがカトリックということだろうか。