2001年に講談社選書メチエの『知の教科書――ユング』(山中康裕編)をいただいた時に、中井久夫さん考案の「風景構成法」が載っていた。川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石あるいは岩のようなものの順番で全体を一つの風景にしてもらう。その後で足りないと思うものは自由に書き足していい。
「読み方」は標準化されていない。
その頃、周りのいろいろな人にこれを試してみた。
私はやっていない。この本を読んできたから自然な心象風景が出るとは思えないし、私はいわゆる「お絵描きがとっても上手な子」なので、最初から、全体の遠近法とかを考えながら「絵になる」構成を考えてしまうからだ。で、その時から周囲の人に描いてもらった紙を、この本の中に保存していたのを最近偶然見つけた。名前や年齢が書いていなくてもう分からないのもある。
フランス人には「田」は「畑」と言った。
今となっては懐かしいしユニークなものもあるので少し紹介というか、ここに思い出として記録しておくことにした。
描いてもらった人は、精神的な問題があった人でなくごく普通の人。だから、心象風景というより、その人たちにとって、「家」とか「木」とか「川」とか「道」とか「花」とかがどういうイメージなのかということが分かって興味深かった。
年代別に四世代分あるので、まず、私の母の世代。つまり1920代半ば生まれの二人。
私の母のもの。
日本人だから「田」ということで右に田んぼが見える。家にはドアがない。石は木の下に配置。山は川の向こう。川には橋がない。母は戦争中空襲を経験したけれど、親兄弟は誰も失っていない。
次は驚きの絵だった。
描いたのはチベット人の活仏である高僧。チベットからインドに亡命、さらにフランスに亡命した。解説してくれた人が、下は東estだと補完している。
で、ヒマラヤに暮らしていると、太陽はいつも足元から上がってくるのだそうだ。そして、チベットにはそもそも「風景画」という観念がなく伝統もなく存在もしなかった。道が川を横切っているのにほっとするけれど、これを書いた人がチベットのラマ僧だと知らなければ、ぎょっとする、というか、精神状態を心配してしまいそう。実際はいつもにこにこ温厚そのものの人だった。
母も、この高僧も、もう、いない。(続く)