さて、ミュージアムの中を進むと、説明だけではなく、至る所に等身大のフィギュア、音楽、大道具、小道具が配されていてとてもよくできている。最初は十字軍に志願して船に乗り込むようなイメージで部屋全体が船の造りになっていたり、途中のイタリアの港のシーンになっていたりする。
これは、航海中の聖ルイ王。この人って本気だったんだなあとあらためて思う。
これは騎士団に入ったばかりの修道僧に独房で支給されるすべてのもの。
彼らは修道会の中でももっとも厳しいシトー会系の誓願を要求され、清貧、貞潔、従順を守る。十字軍などといったら、血気にはやった兵士をイメージするかもしれないけれど、従軍慰安婦の存在などとかけ離れたストイックな集団で、人間って、いい方にも悪い方にも、こうやって「個」を殺して信ずるところに殉じることが可能なんだなあ。
騎士の墓地の上に置かれる像の例。
脚が十字に組まれているのが神殿騎士の証し。子羊が寄り添う。
階上へ。
オリエント世界と遭遇する十字軍。
ここで、「異文化」を武力で淘汰して回ると思ったら大間違いだ。当時の中東はトルコの支配を受けていたけれど、基本的に豊かなギリシャ文化圏だった。騎士団や十字軍の一般兵士たちは、信仰と軍事と手仕事のことしか知らない素朴な人間がほとんどなので、オリエントの文化と「遭遇」して夢中になって貴重な記録をたくさん残す。
ウードなどの楽器との出会い。
これは特に面白い。チェスを覚えて現地の人と興じる兵士。王手=チェック・メイトというのは勝った時に「王は死んだ(詰んだ)」というペルシャ語から派生したものだそうだ。
楽器や各種ゲーム、ワイン嗜好まで含めて、いわゆるイスラム文化でなくササン朝ペルシャの影響を引き継いだ官能的でミスティックなスーフィズムとの「出会い」が大きかったようだ。今に至るまでフランス人はスーフィーとの相性がよくて、民間の異宗教対話で「ムスリム」として招かれるのがリベラルなスーフィーだったりするのも単なる政治的理由ではなさそうだ。
最後は一四 世紀の弾圧、拷問、殲滅、異端宣告のエピソードで締めくくられる。
ここでは歴史的な詳しい説明をしないので興味ある人は各自検索してほしい。玉石混交でいくらでも出てくるだろう。
でも、私自身、テンプル騎士団についてはその「異端づくり」裁判を中心にこれまで長くいろいろ調べてきたのだけれど、こうやって流れを概観することによって新たな「出会い」みたいなものを感じる。彼らがいかに金融や流通のシステムをつくり、強固なネットワークを築いてきたのかというのが実感として分かる。
(続く)