昨日の記事の追加。
耳にしたのは、この本の著者であるアラン・キュニョーのインタビューだった。
この著者は哲学者で、キルケゴールの専門家だというのがおもしろい。
私は、十字架のヨハネをフランス語訳でかなり読んだけれどもう35年位前。
彼のテキストには、16世紀という時代性がまったくないので古くならないと言われて、確かにそうだと思った。
自分語りのアヴィラのテレサとは対照的だ。
ではどのように「自分」を語るかというと、あらゆるところで「出会う」自分の「魂」についてだ。彼は詩でそれを表現する。「詩」は自分よりも自分を知っている。「魂」とは個体の真実。
幸福とは、健康のような「良好感」ではなくて、浄化した先にある。
「あなたが生きていることは、あなたが思っているよりも重要だ」
自分語りをしない十字架のヨハネは一つの「謎」だ。
これらの解説を聞いていて、今さらながら腑に落ちる部分があった。
昔読んだヨハネのテキストは、気に入った部分の集合体だったけれど、今、なんとなく、楽譜の部分でなく、「詩」の部分の彼の「音楽」が聞こえてくる。
これは『暗夜』。