忘れないうちにメモ。
レバノンは最近、カルロス・ゴーンの逃亡先として日本で知られるようになった。
私にとっては、1970年代半ばから、ちょっとした個人的トラウマにも関わる縁のある国。
前にこういう映画を観た。
この夏、ベイルートの大爆発の後に、マクロン大統領がすぐにベイルートを訪れたことは、外交的チャンスだったのだろうが、「宗主国」然とした振る舞いを批判されもした。
このことで、あらためて、今のレバノンでは、中東に「キリスト教国」で緩衝地帯を作ろうとしたフランスの恣意的な「建国」の思惑がどう変わっているのかを見たので、感慨深かった。
もともと、フランスが「統治」していた「小レバノン」はマロン派カトリックが80%を占めていた。カトリック文化圏にとどまり、「カトリック教会の長女」などと言われていたフランスは、政教分離の共和国という表看板を掲げながら、レバノンでは政教分離どころか、政治を宗教で分断するような体制でキリスト教を優先した。
けれども、結局、保護国としては1920年に「大レバノン」として地域を広げたので、その時点でマロン派は人口の55%になった。その後、イスラムのシーア派、スンニー派の住民の方が出生率が高かったので、今のマロン派は30%台になっている。
イスラエルとパレスティナの問題で、パレスティナの出生率が圧倒的に高く、イスラエルはこのままいくと少子高齢化で滅びるからじっと我慢していればパレスティナが「勝つ」というタイプの予測を読んだことがあるけれど、そういうことって実際にあるんだなあと思う。イスラエルの場合、アメリカとの関係とか、世界中にいるユダヤのネットワークがあるから複雑だけれど。
でも、レバノンのマロン派も世界中に散らばってネットワークを持っている。カルロス・ゴーンもその歴史と無縁ではない。
今回の大爆発の試練を乗り越えるために、宗教コミュニティ別ではなく、レバノン国民としての団結が求められているわけだけれど、そもそも同じところから枝分かれした一神教同士なのに、そして「共和国」という「おフランス」譲りの看板を掲げているのに、宗教や宗派で争い続けるメンタリティにがっかりする。
レバノンの内戦の時も、イスラエルやシリアが介入してどんどん深みにはまったし、イランとかロシアとか、ヒズボラなどの過激派なども絡んでくるのだから、ことは複雑だ。
フランスが「傲慢」と言われながらも、こういう介入をするときには一応「ユニヴァーサリズムの視点」を明確にするから、まだましだ。普遍を志向する理念なく地政学的権益だけを念頭に動く国の介入は結局、分断を推し進める。
今の日本はその点、ある意味でフランスと同じくらい「宗教的、宗派的」イデオロギーが一般に欠如しているから、住みやすいと思う。でも、「理念」も欠如している。
フランスもいろんな意味で偽善や欺瞞があるけれど、理念と実際の乖離も見えやすいから、批判や議論も起こるし、問いかけも起こる。どこに軸足を置いて問い続けるかというのが見えやすいかどうかということはフランスと日本の大きな違いの一つだ。(でも、アメリカとフランスやアメリカと日本の違いに比べれば、フランスにいるおかげで、日本の問題もずっと建設的な方向で意識化しやすいのでありがたい。)
(またいつか続きを書きます)