遠景。
聖女ニノグ
5世紀初めに14 人の子供が全員宗教者になったので、子孫が途絶えると絶望したウェールズの王が、山の上で40日過ごして祈願してできた子供だ。長じてスコットランドの王子からプロポーズされたが、拒否して自分もキリスト教に身を捧げるためにブルターニュに渡った。ブルターニュで最初の女子修道院を創設したと言われる。
像は彼女を守護聖人としている町の方を向いている。手を腹に当てているのは、高齢で妊娠出産する女性の守護聖人でもあるからだ。4m52のかなり背の高い像だ。
他にも興味深い石像がたくさんあるのだけれど、このシリーズは一応これで終わることにする。
この聖者の谷、同じ地元の御影石で彫られたそれぞれのスタイルが楽しく、物語性があるし、野外美術シーンとして非常に充実している。一つ一つもおもしろいけれど、全体の「場」の雰囲気がそれぞれの像の放つパワーと角度でいろいろなメッセージを送ってくれる。御影石彫刻をやっている人にはぜひ一度訪れてもらいたい。
宗教史としてもあらためて発見があった。
ブルターニュの特殊性だ。
大陸側にはゲルマンのフランク族の侵攻があり、グレートブリテン側にはアングロサクソンやノルマン人の侵攻があった。最後はどこも軍事的政治的な理由で「キリスト教化」するのだけれど、両側から圧迫されたブルターニュでは、ケルトの土着信仰が軍事的な形でなくキリスト教に転化した。宣教の手段としての「置き換え」ではなく自然に変異したのだ。
今でもブルターニュの「ブルターニュ意識」は強いけれど、ゲルマンの神話にもギリシャ=ローマの神話にもあまり影響されずにメンヒルやドルイッドと習合していった独自のキリスト教が今でもアイデンティティの根っこにあるのだ。
日本と大陸の関係なら、大陸から日本に移住するとか、日本が大陸文化を輸入するために人を派遣するなどというイメージがあったけれど、ブルターニュでは、グレートブリテンから大陸への一方通行がほとんどだ。しかも、大陸にはゲルマン人が侵攻していたから、ブルターニュでハイブリッド文化が凝縮されてしまって他に広がらないまま、ヨーロッパのキリスト教の古層をなして残っているという感じだ。
ほとんど知らない名前ばかりだけれど、ここの聖者たちはブルターニュのあらゆる場所の地名となっているしブルターニュ生まれの子供たちの洗礼名にもなっている。
それが「聖者の谷」という形で具現化していることにあらためて感慨を覚える。
この地の散策は、コロナ禍で閉塞していた気分を解放するには最適だった、と今でも思う。