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L'art de croire             竹下節子ブログ

絶望と希望 (続き)

なかなか「希望」にたどりつかない。

ドイツ制作のKKKのドキュメンタリーを観た後で、同じテーマで、ドイツのネオナチについてのドキュメンタリーを続けてやっていた。

現在のチューリンゲン州の話で、旧東ドイツで、今、反EUの右派新党が勢力を伸ばしている。ここで、ネオナチのロックコンサートなどが定期的に開かれて、トルコ移民らに向けたヘイトを振りまいているのだけれど、「ハイル、ハイル」などとみんな同時に叫んで腕を振り上げて意気軒高。最も有効なプロパガンダというのは、人々の「考えを変えること」ではなくて、同じ動作をさせることだ、というのを思い出した。

全然、隠れカルトという感じではない。しかも、ドイツはナチスのファシズムへの反省で、「表現の自由」を統制できないので、全身タトゥの男たちがナチスのパロディを威嚇的に繰り広げてもそれだけではコンサートなどの規制はできない。

ドイツのこういう動きはさすがに隣の国にいるから知っていたけれど、こうあらためて見せつけられると本当に気分が悪くなった。アメリカで一部の白人があからさまに黒人を差別し続け、ドイツでも一部の「アーリア人」がトルコ移民らの排斥をあからさまに叫ぶ。どちらもとても「暴力的」で、それに陶酔している感じだ。

何でこういうのがまかり通っているのだろう。

その後で、ケルンのテロリズム対策の現場の様子のレポートがあった。イスラム国のプロパガンダに魅せられてシリアに渡った後で戻ってきたドイツ人もいるし、シリアやトルコからの移民もいて、爆弾や毒薬の製造をしているのを突き止めたりするのだけれど、絶対数が多すぎて、すべてを監視できない。監視できていたら未然に防げるテロもあった。テロに走る危険のある者のほとんどはブラックリストに載っているからだ。

KKKについての番組の後でこの番組を見たので、「ああ、どこもかしこも…」と暗い気分でベッドに入った。

そしたら、次の朝、目覚まし代わりにスイッチの入るラジオから聞こえてきたのは、少数民族ヤジディ教徒のホロコーストについて伝える活動をしている人の証言だった。イスラム国に拉致されて奴隷にされた経験を持つ人権活動家のナディア・ムラドが2018年にノーベル平和賞をもらっているから、当時はそのひどさについてよく耳にした。若い娘は平均35回、別の男に売られたという。もちろん自殺する女性もたくさんいた。

イスラム国が追いつめられた後は、男の人質は15千ドルで、女性の人質は2万ドルを身代金として家族に「売られる」ことになった。その身代金を半分ずつ支払ったのはイラク政府とクルドだったのだそうだ。

思わず「支払ったのかよ」と言いそうになった。

あらためて、ヤジディ教徒の悲惨な境遇を耳にして、KKKやネオナチなんてまだましかと思えるほどにひどい話だと目の前が暗くなる。アメリカでも、ドイツでも、イラクでも、いや、多分どの時代のどの国にも、武器や力を誇示して仲間を洗脳し、信じられない憎悪と暴力に走る人たちがいたのだろうし、今もこれからもいるのだろう。そう思うと、最近の「コロナ鬱」みたいな厭世気分すらもふっとんで、ただ絶望にとらわれた気分になった。

ところが、その後に、同じラジオから、マルタン・ステフェンスが話すのが聞こえてきた。

彼は、コロナ禍における「マスク原理主義」に落ち着いて反対している数少ない哲学者だ。

けれども、予防の意味のない単に不安にかられての過剰な対応に従っている人々を馬鹿にするわけでもなく、逆に、そういう人々を馬鹿にしてマスクは不要だとか自由の侵害だとか叫んでいる人も否定する。

この危機の時期を、人と人との関係性の中で生き、忍耐し、抵抗をひそかに、少しずつ、ブライヴェートな場や心の中で持続すること、多くの人がそうするようになれば「全体主義」は必ず崩壊する、という。

「私は死にたくない」「あなたも死にたくない」、だからお互いのために政府の指示に従ってマスクも外出規制もすべて引き受けましょう、という生存本能の一番原始的なところに訴えるのはおかしい。そもそも人が人となったのは、死者をリスペクトして葬るという習慣の登場によってだった。弱者とは高齢者や持病のある人だけではない、人間の「関係性」を学ぶ子供たちや、死者も含まれる。マスクをして子供の世話をしたり、死者の葬儀を個別化しなかったり省略したりするのは関係性の中で生きる人間の否定だ。

「顔」は人と人の関係に決定的な役割を果たす。そもそも、自分の体の中で、自分に属していないで「他者」に属している部分だともいえる。自分には自分の顔が決して直接には見えないのだから。

ステフェンスはそれに異を唱えるけれど、ドイツ軍に占領されたフランスのレジスタンスのように、表向きは従い、陰で人々と結びつくのだという。フランスにEditions de minuit (真夜中出版)という有名な出版社があるけれど、占領下で、抵抗と自由を語るレジスタンスの地下出版から生まれた。

もちろんレジスタンスで命を落とした人もいる。でも彼らは「死にたくない」からおとなしくするのではなく、「自由に生きたい」から死も受け入れた。

疫病では死にたくないけれど、自由を愛して生きたことで死ぬのは受け入れる。大切なのは死なないことでなく愛すること、他者と愛の関係を生きることだから。

ステフェンスは、だから、全員マスクをしている生徒たち(リセの哲学教師もしているので)に、「苦しいだろう、さあ今から5分間マスクを外してみよう」と授業の合間に言うのだそうだ。そのような小さなレジスタンス。そして「良好感」を大切にするスタンスの大人がいるのだと言うことを知ってもらえる。「着用義務」が全体主義であってはならないという考えの表明だ。

実際、リセの生徒たちは、「教室では離れて座ってマスクをつけさせられるのに食堂ではみんな隣に座ってマスクを外しておしゃべりしながら食べている、ナンセンスだ」と、内心では、一律の強制をおかしいと思っている。それを口に出して形にしてくれる「大人」の役割は大きい。その大人は生徒たちの息苦しさを軽減しようという「気遣い」を第一に考えてくれている。


で、そのステフェンスは、「困難な時にも人生を愛する」ことを説く人だ。それは逃避やごまかしや相対化ではなく、今、生を与えられて生きていること、日が昇り花が咲き、どこかで子供たちが泣いたり笑ったりしていることを含めて、人生の通奏低音は「喜び」なのだ、それに気づいてそれを養っていく「意欲」を持とうと呼びかける。きっちり現実を見つめて、向かい合う困難に名をつけて、自然も含めた他者とつながる喜びに心を閉ざさずにいれば、ポケットに詰めた喜びの「白い小石」で、たどった道を少しずつ残しながら闇の中を歩いて行ける。

と、こう書くと、うまく伝わらないかもしれないけれど、「希望」とは忍耐強く「希望を意欲すること」であるというこの若い哲学者(マクロン大統領と同じ年)の、気負っていないけれど決然とした姿勢が、世界にはびこる暴力や権力志向に絶望していた私の気分を切り替えてくれた。

「絶望」するのは最初にそもそも「希望」があったからだ。希望なしに絶望はない。

でも、希望は、絶望を必要としない。 絶望の中には絶たれた希望が隠れている。

外から絶望を見ないで、中に入って、希望を選択しよう、と彼が語るのを聞くと、なんだか心が軽くなる。


絶望も伝染するけれど、希望も、伝染する。



ステフェンスの『夜を歩く』の序文はここで読めます。(本の表紙の写真をクリック)

マスクについてのインタビューはここで。この人はカトリックだけれど、カトリック教会の過剰対応も批判しています。




by mariastella | 2020-10-21 00:05 | 哲学
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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