フランスの高級品がどうして生まれたかというドキュメンタリーをArteで視聴した。
ルイ14 世の親政が始まったころのフランスは、ユグノー戦争、ハプスブルク家との戦争、フロンドの乱で疲弊した陸の孤島状態だった。農業国だったので食料は自給できたけれど、王の権威を示すための鏡、ガラス製品はイタリアから、高級織物高はオランダから、陶磁器(オランダが中国から輸入したものをフランスに輸出していた)は中国から、と輸入が輸出の2 倍に上っていた。
で、カトリックのイタリアには、フランスの司教をベニスの大使に任命してムラノから好条件で職人を引き抜いたり(3 人のうち1人は後に毒殺された)、中国にはイエズス会の宣教師に磁器製造の秘密を探らせたり、プロテスタント国のオランダからは毛織物工業のトップだったライデンから職人50人と機械を30台引き抜くなどした。フランス中に王立のマニファクチュアを設立して規格をつくり、中央から検査官が来て規格に合ったものに鉛で印をつけた。それが「ブランド」の始まりだ。
磁器では、ドレスデンが、中国に600人の最新軍隊を献上して150の大きな壺を献上してもらうなどの熱心さで、ついにマイセンの磁器産業が生まれた。フランスの方は、18世紀の啓蒙の時代の化学の発達によって彩色技術が進み、セーブルの磁器が生まれた。
ルイ14世があちこちにスパイを派遣して「盗ませた」技術で国内生産と供給が可能になった後で、ルイ15世がそれに新しい「技術」を投入してフランスのブランドを確立した。もともとヨーロッパのすべての宮廷はフランス語を話していたし、服装文化も、単に高級、高品質というのではなく、ひとりひとりに合わせたデザイン重視が生まれた。
モード文化が誕生し、オート・クチュールが生まれたのだ。
プロテスタント国生まれのルソーはその高級品志向を批判したけれど、ヴォルテールはそれを文明の進歩の結果だと言った。
この、国の威信をかけての「高級ブランド」戦略がすでに宮廷だけではなくブルジョワジーにも浸透していたからこそ、フランス革命を経た後も、フランス・ブランドは生き残ったのだ。それは今でも続いているのだから、太陽王の先見の明は大したものだったと思う。
このドキュメンタリーでは触れられていないけれど、このように高級かつ最新テクノロジーの中心となったパリにやってきたスイスの時計職人ブレゲの腕時計をマリー・アントワネットが愛好し、今でも美術館に展示されている。時計界のダヴィンチと称されて、アナログ時計のすべての技術を更新した人だ。
『からくり人形の夢 --人間・機械・近代ヨーロッパ』(岩波書店)でいろいろと書いたけれど、18 世紀半ばのフランスでの「高級」は、科学と普遍主義が結びついた「機能」に美を見るものでもあった。そのひとつが楽器や自動楽器で、そのおかげでよみがえったフランス・バロック音楽と、バロック・バレーが、いわゆるブランド品には特に興味のない私にとっても貴重な生きる指針になっているのだから感慨深い。
(健康ブログに記事をUPしました。興味のある方はどうぞ。)