ジャンヌ・ダルク列聖100年の今年、まさかと思っていたけれど、新しい視点を開いてくれる本が出た。ヴァレリー・トゥレイユの『ジャンヌ・ダルク』Ed.Perrinだ。
著者は中世の犯罪、特に「brigands」や「écorcheurs」専門の歴史家というのだから驚く。
この二つは、歴史語として日本語で同訳されているのか知らないけれど、普通は強盗とか追剥とかいったならず者で、中世の戦乱の時に略奪する傭兵や歩兵を含んでいる。
そのような徹底的な、民衆視線から見て、ジャンヌ・ダルクは、決してすい星のように現れて消えたのではなく、すでにナショナリズムの萌芽、イギリスの占領軍に対するレジスタンスが生まれていたのだそうだ。
たとえば、オルレアン包囲軍には初めはイギリス軍だけではなくブルゴーニュ軍もいた。オルレアンは、イギリス軍に投降するくらいならブルゴーニュ公に占領された方がましだと思っていた。しかしイギリス軍のベッドフォードは、自分たちが戦ってブルゴーニュ軍に漁夫の利を与えるのを拒絶したので、ブルゴーニュ軍はオルレアンから撤退した。もとよりオルレアン公と跡継ぎはイギリスの人質になっている。当時の慣習として人質の地元を攻めるのも例外だった。
ブルゴーニュ軍が残っていれば、ジャンヌ・ダルクはオルレアンを解放できなかったもしれないし、「レジスタンスの力」関係も変わっていたということだ。
思えば、ヨーロッパって、地域的に狭いところに、アングロサクソン、ゲルマン、ラテン系などが接している。特にフランスは、イタリアのようなラテン系ではなく、もともとラテンやゲルマンやケルトが混ざった独特の「フランス・アイデンティティ」が聖ルイ王をシンボルにして出来上がっていた。だから、英語を話すイギリス軍やドイツ語を話すドイツ軍に「占領」されることは耐えられなくて、必ず「レジスタンス」が生まれたようだ。
第二次世界大戦でドイツと休戦した時の「占領」された地域と、自由フランスの地域の分かれ方と、ジャンヌ・ダルクの頃のシャルル七世のテリトリーとイギリス=ブルゴーニュ圏の分かれ方とがそっくりなのも興味深い。
第二次大戦下のフランスのレジスタンス史というのはすごい熱量を持ち、犠牲精神にあふれたものだった。
私は日本人だから、それを見ていると、どうして第二次大戦後にアメリカ軍占領下の日本人にはレジスタンスがなかったんだろうとあらためて思ってしまう。
日本の「レジスタンス」が自国の「軍国主義」へのレジスタンスとして現れていたのは確かだ。不服従で囚われたり殺されたり人や、面従腹背、雌伏していた人、彼らは、日本の敗戦によって「解放」されたことになる。アメリカは物資をばらまく「解放軍」としてやってきた。
軍国主義へのレジスタンス闘士にとって、冷戦によるレッド・パージで「解放軍」のイメージは壊れたけれど、その後も、米軍基地の協定や沖縄の立場も含めて、深く地下に潜ってネットワークを作りレジスタンスを組織するというタイプの抗議活動はなかった。戦勝国と敗戦国がひしめき合うヨーロッパとアメリカが冷戦の間でも絶えず水面下でのパワーゲームを続けていたのとは違う。
この画期的なジャンヌ・ダルク本、96 歳のジャンヌ・ダルク友達オディールへのクリスマス・プレゼント用に則購入した。(フランスではクリスマス・プレゼントに本を贈るケースが多い。夏のバカンス前、秋の文学賞シーズン、そしてクリスマスが、本が一番売れる時期だ)