アメリカでの黒人差別問題を考える度に思い浮かべるのがアレクサンドル・デュマのことだった。
アレクサンドル・デュマ(父)として知られる「三銃士」や「モンテクリスト伯」の作者だ。
その彼の父親がハイチのサン・ドミンゴで活躍したフランス初の黒人の将軍だとは知っていたけれど、よく調べると、そのデュマ将軍の父親は、ノルマンディの貴族で、サン・ドミンゴの黒人奴隷との間の4人の子を最初は売ったけれど、未来のデュマ将軍だけは買い戻して、フランスで貴族の教育、軍人としての教育を受けさせたのだった。将軍は185㎝の偉丈夫で当時の平均より頭一つ高かった。当時のフランス人で、植民地のカリブ海の島で現地のアフリカ系奴隷や元奴隷の女性との間に子をなした人はかなりいる。結婚した人もいるし、ハーフの子供で軍人や文化人として活躍した人たちの名も残っている。
デュマ将軍は普通の白人のフランス人と結婚しているから、小説家のアレクサンドル・デュマは今でいうとクォーターで、エキゾティックであったし、商業的に成功した後は嫉妬からの差別言辞を受けたものの、生涯女性にはもて続けるし、息子のデュマ(椿姫の作者として有名)などには外見的にもう黒人らしさは残っていない。
そういえばモンテ・クリスト伯とか、新聞小説だったんだなあ、連続小節、連続ドラマの「クリフハンガー」というテクニックを商業的に成功させた草分けだっのかも、とあらためて思う。
歴史的資料を提供したマケがデュマの名声の陰に隠れて著作権を正当にもらえなかったことの係争が続いたのもある意味で先駆的だ。
モンテクリスト伯の話をバットマンそのものだという人がいた。復讐劇であり「超人」になって敵を征伐するパターンだそうだ。デュマ将軍は、ナポレオン軍で功績をあげたのにかかわらず、結局ナポレオンは奴隷制を再開する。それにはいろいろな経済的政治的理由があるのだけれど、デュマ将軍にとってはそれは裏切りのようなものだった。サン・ドミンゴで生まれた息子が2歳の時にフランスに戻ったが、その2年後に死んだ。息子にとって、「モンテクリスト伯」は父親に代わっての復讐劇でもあったのだ。
それにしてもデュマがあらゆる点で常軌を逸する天才であったことには変わりはない。
1846年に建てた自意識肥大の誇大妄想狂の作としか思えないパリ郊外の「モンテクリスト城」が1969年に取り壊しを免れて美しい姿を見せているのは僥倖だ。今はコロナ禍で閉鎖中だけれど、再開したら行ってみたい。キッチュというよりともかく壮大な演劇の舞台みたいだ。
下はアレクサンドル・デュマ(父)についてのドキュメンタリー。1/18まで視聴可能。