塚崎直樹さんから最新刊の『虹の断片』を寄贈していただいた。
精神科医としての第一線からリタイアして活動を広げてようとしている塚崎氏の航跡を振り返る集大成かと思える大部の書だが、「断片」とあるように、意図して、さまざまな場面の切り取りで構成されている。
いわゆるノンポリの学生だった氏が全共闘運動や平和活動とどう関わっていったかの回想や、精神病棟の「改革」の過渡期におけるさまざまな試行錯誤の様子、自殺についての論考など、貴重な証言の中に塚崎氏の人生観がうかがえる興味深いものだった。ハンセン病や水俣病、鶴見俊輔の鬱病などについてさまざまな記録を読み込んでいく論評も参考になった。
このようないろいろな考察が「断片」というよりさまざまな貴重なファイリングとなって彼の医療活動を支えてきたのだと分かる。
一方で、塚崎氏の宗教への関心について、「禅と心理療法」をめぐる活動についても興味を持っていたので、彼が瞑想や座禅、神秘体験とどのように出会ってそれがどのように発展したのかをぜひ知りたいと思っていたから、それについてほとんど触れられていないのが残念だった。禅の「老師」として座禅会の主催、指導という活動も併行してやってきた塚崎氏は、キリスト教にも造詣が深い。そんな彼の「回心体験」「悟りの体験」や、それが治療哲学や患者さんとの関係をどう変えたのか、変えなかったのかについても興味津々だった。
けれど、自伝的な面もあるこの大著の中でそれらのことを語らない抑制には、逆に大きな意味を感じる。
私は精神科医の中井久夫さんがカトリックの洗礼を受けられた時に、統合失調症の「治癒」について書かれた「精神の健全さ」の15項目について、キリスト教と関連付けてシリーズでこのブログに書いたことがある。
最終回はこれ。
中井さんのこの基準は精神科医としての塚崎氏の取り組みとも通底している。
考えてみれば、「虹の断片」と言っても、虹は断片でも七色のグラデーションになっている。塚崎氏は、七色を無理に分けたりしない。グラデーションのまま残してなおそれを局地化して並べたわけだ。
中井さんの挙げる「精神の健全さ」でも「断片化」の大切さについて考えさせられたことを思い出した。
臨床医師をリタイアした塚崎氏が、コロナ禍の続くこの時期に宗教者として「霊的健康」の道を示し続けてくれることを期待する。