色が統一されてとてもおしゃれな感じになっている。Bくんの声もいいし、聖歌隊がいるわけでも指揮する人がいるわけでもないのに、参列者の声がそろっている。
はじめは記念にこのミサを録画しようかと思ったのだけれど、あたたかい手作り感に引き込まれていくばかりだった。
ミサのはじめに意向を伝えてくれたのはもちろんだけれど、その日の聖書朗読の箇所が「マルコによる福音書」の4章 24―36だった。イエスが弟子たちに話している。
「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは、自分の量る秤で量られ、さらに加えて与えられる。持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるのであり、初めに茎、次に穂、それから穂には豊かな実ができる。
実が熟すと、すぐに鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
また、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
それは、からし種のようなものである。地に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
Bくんは、地上のどんな種よりも小さいからし種が、パレスティナの小さな地域から日本にまでたどり着いた、と解説した。そう言われると、遠い日本で「神の国」への道をたどったO師にパリで思いをはせていることの不思議が、2000年前から続く大きな流れの中で見えてきた。
BくんがO師と日本の教会のために祈る機会として声をかけてくれたのだろうか、平日の昼というのに聖堂はいつのまにか大勢の参列者で埋まり、聖体拝領の列に並ぶ若者たちが途切れず、小さな聖体容れの中に充分なホスチア(聖体パン)があるのか心配になったほどだ。まるでガリラヤ湖畔でパンがいくらでも増えるシーンを見ているようだった。延々と続く聖餐の間中、後ろの方で美しい声で聖歌を歌っていた夫人が、ミサの後で私のところにやってきて、日本のキリスト教徒が迫害に耐えて信仰を守ってきたことへの賞賛を伝えてくれたことは前にも書いた。
「喪」というのは大切だ。O師の場合、病んでいたとはいえ、さらなる治療法について検討していたところで、今年の秋に出版する予定だった本の執筆も進んでいた。突然断ち切られた形になり、その後、どのような関係を結んでいったらいいのか分からなくなった。けれども、このパリでの追悼ミサを心をこめて司式してもらったことで、キリストのうちでO師と再会できた気がする。
O師との出会いと別れ、という思い出でくくっていたものすべては、実は、キリストが私に無償でくれた贈り物だったのだろう。ミサとは感謝の祭儀だという意味がすなおに理解できた。