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L'art de croire             竹下節子ブログ

イリアスとオデュッセイア

私は基本的にシリーズものの番組を見ない。

一度見始めたら次を見たくなるつくりになっているので、誘惑に勝つ自信がないからだ。

でも、これは、信頼できる人からの勧めで25分ずつ20回をネットで一週間くらいですべて試聴した。

ホメロスのイリアスとオデュッセイアだ。(下に貼ったのはイリアスの前半部分。検索すればすべてネットで視聴できます。ブログには一つしか貼れません。)



構成がすごくよくできている。オデュッセイアの冒険も、時系列に再構成されているので、原作より分かりやすい。再現ドラマでなく、影絵のようなシルエット重視のアニメ部分と、このギリシャ神話にまつわる古今のさまざまな絵画、彫刻、ギリシャの壺絵、発掘品、そしてフランドル絵画、ムンク、シャガール、ピカソ、ダリに至るまでたくさんの芸術作品が切り取られてイメージ挿入されているのが、違和感があるどころか、ギリシャ・ローマに端を発してユダヤ・キリスト教を通じて形成されて来た西洋文化を俯瞰できるような贅沢なつくりになっている。


実は、このふたつの叙事詩を翻訳でも通読したことがない。

私の子供の頃からすでにあまりにも古典すぎて、そして断片的なエピソードは知られ過ぎるほど知られているから、最初から最初まで読むという発想がなかった(筑摩の古典文学大系で持っていたのにも関わらず)。 幼いディレッタンティズムにかられて、14歳の時に翻訳で全部読んだのはなんと、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』だった。


フランスに来てからは、さすがに基礎教養としてのギリシャ神話は頭に入っていたし、バロック・オペラはギリシャ神話の枠組みなしには語れない。けれどもフランス語では神の名や英雄の名、すべてフランス語読みするので、日本にいた頃の英語読みや原語読みと乖離してぴんと来ないことも多く、それは放置していた。実際、ピアノの生徒にもユリス(オデュッセウス)とかアシル(アキレス)とかが普通に来るようになった(昔はカレンダーに書かれている聖人の名前しか選べなかったので、新しい世代がそういう名で登場したのだ。ユリスやアシルはマイナー聖人だった。今は流行の名)。

で、今回、全編を時系列に視聴して、3000年前からのギリシャのオリンポスの神々の時代から神と人との関係や、征服欲や嫉妬、反抗と懲罰などのメカニズムが全然変わっていないとあらためて確認してしまった。

「無神論」イデオロギーのベースと論議のすべてがもうそこにある。

私は中央公論新社の『無神論―二千年の混沌と相克を超えて』をギリシャ哲学を起点にプラトンあたりから始めた。でも、「神々」にヒエラルキーがあるにかかわらず、人への命令と約束、援助や褒章などを一貫して保証できない実態に対して、「神に義がないのなら、神は必要がない」と言い切るオデュッセウスの言葉と、神々の当惑や互いの責任転嫁の様子など、「信仰に応えてくれない神を捨てる」という選択は普遍的なのだなあと思う。信仰を捨てられたら、神々は存在できなくなる、とあせる。そもそもオデュッセウスの苦しみは、トロイの戦争の悲惨さからくるトラウマから来ているし、その悲惨な戦争は、増えすぎた人口を減らすためにゼウスが秩序の女神テミスと思案して、大戦争による大量死を決意したことによる。

うーん、もしこれを少女時代に読んでいたらぴんと来なかっただろうと思う。

今は他人事とは思えない。ディープステイトだとかの陰謀論も元をただせばギリシャ神話か? と思ってしまう。そして、こうやって合理的な哲学や守護神の飼い馴らしをやってきた末のローマ帝国のヘレニズム世界に、よくもまあ不合理で奇妙な一神教であるキリスト教が根を下ろしたものよ、とあらためて感心する。

ある意味で、一神教の方が、独裁権力者にとって使い勝手が最高だったのでここまで広がったのかもしれない。ゼウスはオリンポスに君臨しているといっても、妻や息子や娘たちも自由にふるまっていて、互いに矛盾した行動をとっている。人間は、どの神が誰に味方したということを「忖度」しては「捧げもの」をあちこちにしなくてはならない。そのシステムが経済的に重すぎたので、一神教に乗り換えたという経済的理由もあった。神々は「聖人」たちに置き換えられたけれど、キリスト教の聖人たちは三位一体の神に完全に服しているから扱いやすい。


もう一つ、オデュッセウスの息子のテレマコスだけれど、彼の名や、アガメムノンの名などは、少女時代の私にとってシュリーマンと強く結びついていたことをノスタルジーと共に思いだした。「テレマクの冒険」などはフェヌロンのフランス語だけれど、それのロシア語訳を22歳のシュリーマンがオランダの仮宿で毎日声を出して朗読するモティヴェーションを維持するために、貧乏な聞き手を雇って毎日椅子の前に座らせたというエピソードなど何度繰り返して読んだか分からない(今も手元にあるツェーラムの『神・墓・学者』中央公論社)。 トロイアやミケネー発掘の情熱にも胸躍るけれど、外国語を6週間でマスターする没頭に憧れた。

残念ながら、私には根気も集中力もなく、もしあったとしても、シュリーマンは「没頭」したからそれができたのではなく天才だったのだと気づけないほど愚かでもなかったけれど。


それにしても、日本でも中国でも歴史ものの古典のドラマ化というのはあるようだけれど、いわゆる「俳優」や衣装をまったく使わずにホメロスを再構成したこのシリーズを視聴することができてよかった。ここで学んだことをこれから取り入れていけると思うと楽しい。

(ただ、イリアスでの筋肉勝負の男たちを見ていると、オリンピックって平和の祭典っていうより、やはり強者を讃える祭典なんだなあ、と思ってしまった。)


by mariastella | 2021-02-13 00:05 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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