Q : それはフレンチ・パラドクスですね。私たちの社会は世俗的なのに宗教問題となると熱くなる。どうしてこれほどの対立や議論が起こるのでしょう ?
A :議員たちのこの過剰な反応は、一つは無教養、もう一つは神学的霊的な教育の喪失と関係しています。でも、同時に、真実の霊性というものを求めているのかもしれません。あれほどに攻撃的になるのは、彼らが自分たちの人生と政治活動の意味を理解するために行き詰っているからとしか思えません。だから、このテーマについて本気で考えてほしいと思います。
Q : これは啓蒙の世紀以来のある種の合理主義を養うある種のフランス精神ではないですか?
A : いやその反対です。啓蒙の世紀の精神を持ち上げれば持ち上げるほど、今の議論においては、合理性と逆の方向に行っています。フランスは信仰と理性とがそこまで二元的に取り扱われる稀な国です。啓蒙の世紀の遺産は、ドイツ、スイス、オランダ、イギリス、ノルウェイ、アメリカなどではずっと知的な広がりと共に扱われてきました。啓蒙精神は、プロテスタント国では信仰の軽視なしに理解され、それらの国での信仰はいつも批判的知性に担保されてきました。宗教改革は「大学」から起こりました。ルターの周りの若い知識人らが、霊性と合理性を両立させる考えを深めてきたのです。フランスでは、大学の哲学の中で信仰はスルーされています。信仰とは非理性でも非合理でも蒙昧主義でもないことを忘れたのです。この国で前に進むには、宗教というものへの理解をもう一度考え直す必要があります。
Sekko : これはフランスのプロテスタントならではの見方ですごく参考になる。私はもっとずっとマイナーなフランス仏教連合とはよくコンタクトをとっているけれど、そこにいる仏教に改宗したフランス人たちもむしろリベラルで合理的だ。フランスのカトリック教会の歴史や小教区レベルでの改革の遅れに失望した人たちが仏教に向かう。歴史的に摩擦のあるプロテスタントに改宗するよりもハードルが低いようだ。
(続く)