(これはその4からの続きです)
Q : 非宗教的共和国の中での信教の自由はなぜそれほど重要なのでしょう?
A : 宗教とは、他者や超越に居場所を与えるための行為です。隣人としての他者、超越者としての他者を迎え入れる場所です。どんな典礼の場にも祭壇があり、そこで他者を受け入れます。それがない社会は、貧者や外国人など、想定外の他者の受け入れを忘れてしまうかもしれません。私にとって宗教はその機能が全てで、社会に規範を押し付けるものではありません。カトリックや福音派では時々、福音書を倫理規範へと矮小化します。イエスはそんなことをしませんでした。我々の仕事は行動の仕方を社会に教えるのではなく、社会には「違い」を忘れるのに十分な受け入れの場があると知らせることです。
Q : ライシテ(政教分離)についてプロテスタントが教えることは?
A : プロテスタントがライシテという法的政治的原則から受け取ったのは、意志表示の自由です。我々は、カトリック体制から宗教の多様性を認めるライシテ体制に移りました。プロテスタントはこの多様性の中にあります。プロテスタント自体がルター派、改革派、ペンテコステ派、バプテスト派など多様で、初期のキリスト者が各地で集まったのと似ています。我々にとって多様なことは自然なことなのです。政府の責任はこの多様性のオーガナイズに関わっています。たとえ意見が違ってもその異なる意見を表明するのを保証することが必要で、無宗教者もキリスト者の活動を認める必要があります。
Sekko : フランスにおける絶対王政とカトリックの結びつきが、その反動でヴォルテールのような意見表明の自由を唱える動きを作ったのだと思うと、やはり日本との違いを思う。
絶対王政の時代の日本は、仏教そのものが多様化していて、神道とも折衷していた。倫理規範は儒教的な支配ツールに組み込まれていたのだろう。開国によって突然、国家神道が政治の道具になり、敗戦で、これも突然に否定され、自然に冠婚葬祭用の家族やご近所の緩い宗教習慣に戻った。一方で、信仰を求める人や弱者の受け入れは新興宗教や新宗教の担当になっていったという経緯もある。