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L'art de croire             竹下節子ブログ

ソクラテスの妻

ソクラテスの妻クサンティッペと言えば「悪妻」で有名だけれど、ソクラテスとの間の子供がその後どうなったかについて考えたことがなかった。ソクラテスは50歳を過ぎてから若いクサンティッペと結婚し、息子が1人、未亡人だったミュルトとの間にも1人か2人の子供がいたようだけれど確かなことは分からない。確かなことはソクラテスも家庭を顧みないで自分流の質疑応答による哲学方法を極めることに夢中だったのでとても「良き夫」とは言えないことだ。

で、学校を立ち上げたわけではないソクラテスがどうやって暮らしていたのかというと、親の遺産と家屋を相続したからのようだ。父は石工で早逝し、母は再婚してソクラテスの異父弟を生んでいるから、実父の遺産は早くからソクラテスの自由になったのかもしれない。ソクラテスの母パイテレナは助産婦で、当時は「良家の子女」にのみ許された職業(普通の女性は仕事をしない)だったらしいし、ギリシャは「持参金」も大切なところだから、母の実家由来の資産も多少はあったのかだろうか。で、家賃収入などで妻子も何とか食べていけたようだ。スパルタ戦争に兵役で駆り出されている意外に職業に就いた様子もない。

当時のギリシャ世界、特にアテネは、極端なミソジニーの社会だったとされている。アテネと言えば哲学も盛んで、民主主義の発祥地みたいなイメージがあるが、女性には選挙権どころか政治や社会における一切の権利がなかった。ユダヤ教なども、ギリシャ文化の影響を受けてどんどん家父長的になっていった。ナザレのイエスはユダヤ教の根本にあった男女の補完性を祭司たちに思い出させていたけれど、後にキリスト教がヘレニズム世界に広まるうちに、ミソジニーの影響は強まるばかりだったように見える。

興味深いのは、こういう社会的な女性差別と、家庭内ヒエラルキーは別物だったということだ。

そもそも家父長制の起源の一つは、生産力が高まり余剰財産が生まれた時に、男が自分の死後にそれを実子に相続させようとしたことだ。男は「実子」の確証を得るために「子の母」をも「財」として所有して囲い込む必要があった。「男系」の相続のために「妻」は「モノ」化したのだ。だから、家父長制社会では、子を産めない妻や他の男と関係する妻は追放されたり殺されたりと、厳しく罰せられた。「夫婦」に関するさまざまな「掟」はそれを規定している。

けれど、いったん「妻」が「家庭内の母」という「地位」を確立すれば、社会的に差別されていても、「家庭内での自由度」は高かった。「口やかましい女」「叫ぶ女」などを罰する規定などない。ここでは詳しく書かないけれど、旧約聖書には、「いさかい好きな妻」が家にいる時は屋根裏部屋の片隅に避難しろとか、荒野に出て座っていろ、などとあり、報復も話し合いも追放もない。

死よりも、罠よりも、苦い女がいて、その心は網、その手は枷であり、神に善人と認められた人以外は免れられずにとりこになる、とも言う。あきらめろ、ということだ。今なら口では妻にかなわない夫によるDVなどがあるけれど、社会進化論的には、自分の所有物であり自分の子の母である妻を傷つけるのはまずいのでひたすらおとなしく避難しろということになる。

また、「家庭内」では妻との「いさかい」から逃れたり勝ったりする見込みがないからこそ、「婦徳」みたいなものを必死に考えた社会もできたのかもしれない。

その上、全ての家父長は母親から生まれ、母親や乳母などに守られ育てられてきた過去がある。「家庭内」とか「母子」とかいう枠組みにおいては、マザコン的心理が働いてもおかしくはない。

ソクラテスは質問をし続けることで相手が知識に到達するという問答法を編み出してそれを「助産術」と呼んだ。助産婦であった母の影も感じられる。

クセノポンと共にソクラテスの姿や思想を伝えたプラトンは、貴族の家系の出であり、独身で、子供を残していない。アカデミーを作って、40年も教え、女性の哲学者も世に送り出した。ニーチェは、『道徳の系譜』で、哲学者にとって結婚は障害でしかなく、ソクラテスが結婚したのはそれを示すためだった、ヘラクリトス、プラトン、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ショーペンハウアー、みな独身だった、などと言っている。

今でも、地中海文化の世界では、一見マッチョな世界で「マンマ、ミーア!」が「オーマイゴッド!」で、そういえば、日本でも「山の神」という呼称もある。

以上、旧約聖書に出てくる女性や女性観について調べているうちに、「ソクラテスの妻」に思いを馳せてしまったので、覚書。


by mariastella | 2021-03-06 00:05 | 歴史
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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