南極点到達についてのアムンゼンとスコットの一番乗り争いについてのドキュメンタリーを最近見て、それがオリンピックと結びつけられていることに、なるほどと思った。
北極点と南極点は、いわゆる「西洋列強」が、「新大陸」やアジア・アフリカを侵略し尽くした、あるいは「開墾・開発」し尽くした、植民し尽くした、と思われた時代の最後の未踏の地であり、彼らの内輪の「国威発揚」ゲームの場だった。ちょうど「写真術」や「映像」がスタートした時代なので、観客を想定したスペクタクル型のゲームが可能になった。その一環が近代オリンピックだったというのだ。
1896年がアテネ、1900年がパリ、1904年がアメリカのセントルイス、1908年がロンドン、1912年がはじめて北欧のスウェーデンと決定した時点で1911年の「南極点到達」がなされた。北極点のクックとピアリーの争いは、アメリカ人同士だったが、南極点到達先陣争いはノルウェーのアムンゼンとイギリスのスコットだ。
「一番に国旗を建ててそれを撮影して世界に発信する」というタイプのナショナリズムの始まりだった。
確かに南極や北極点にいわゆる「先住民」はいないし、その時点では資源開発の技術もないから、「科学」研究と、「極限への挑戦」が表に出たわけだ。「探検家やアスリートの身体能力の限界への挑戦」を演劇型ナショナリズムに回収することがオリンピックの誕生と足並みをそろえている。
でも、オリンピックが「平和の祭典」とされたように、その後、南極大陸は、国際的なさまざまな研究プロジェクトの場所にもなった。人工衛星や月や火星の調査などが、最初の米ソによる「競争」から国際プロジェクトになったのと似ている。
でも、オリンピックの方は、相変わらず国旗や国歌で「一位」を強調し、メダルの数を争い、より早ければ、より強ければ、より高ければいいという「挑戦」がナショナリズムと一体になっている。そう思うと、なんだかアナクロニズムに見えてくる。北極や南極でさえ、無際限な開発が一因である地球の温暖化によって文字通り「侵食」されていっている。
(私は子供時代に南極のタロジロの感動物語を知った世代だ。「昭和基地」などという名も懐かしいけれど、ナショナリズムも商業主義も意識しなかった。)
東京オリンピックがどうなるのかは知らないけれど、コロナウイルスを撲滅した人類の「勝利の証し」などと言っている時点で、一体、このような勝ち負けアナクロリズムを必要とするどんな大きな利権が存在するのかと思うとくらくらする。