人気ブログランキング | 話題のタグを見る

L'art de croire             竹下節子ブログ

愛を弾く女 Un cœur en hiver (1992) クロード・ソテ

『愛を弾く女』 Uncœur en hiver (1992)



もう30年近くも前の映画だけれど、当時のセザール賞も受賞したし、主役のエマニュエル・べアールとダニエル・オトゥーユがカップルになり話題で、アンドレ・デュソリエはお気に入りの俳優だし、監督のクロード・ソテの最晩年策の一つだし、絶対に観に行っているはずだ。当時は映画評をノートに記していたので、どこかにあるはずだけれど見つからなかった。

今回、Arteで放映されたのを視聴して、まるで初めて観たような印象を受けた。当時も確か、べアールが、この映画のためにヴァイオリンのレッスンを一年受けたということが話題になったのを覚えているのだけれど、私はその頃まだヴィオラを始めていなかった。

弦楽器職人のアトリエもギター以外は足を踏み入れたことがなかった。

それから四半世紀以上ヴィオラを弾くようになって、この映画を観る目がまったく変わった。


まず、べアールはすごい。まだ30歳そこそこの若さだったことを別にしても、一年でここまでヴァイオリンを「弾いている感」を出せるのがすごい。もちろんヴァイオリン系の擦弦楽器は、音色と音程の完成が一番大変なので、映画ではプロの奏者が吹き替えているのだから音色と音程は無視できる。それでも運指の感じとか、弓の角度、ボウイングが、ここまでそれらしくできるのは大したものだ。しかも、時々ではなくずっと映されっぱなしだ。もし今の私が、このラヴェルのソナタやトリオをそれらしく弾いてみろと言われてもとてもできない。今でも、ピチカートなどが苦手なくらいだ。(ピアニストの映画なら、さすがにいつも手の映像は吹き替えだ。ピアノで難曲を弾きこなしているように見せる演技のハードルは高すぎる。音楽性やタッチやらは別とすると、ピアノのテクニックの習得は、音程は関係ないけれど、ポリフォニーだからすごく時間がかかる。両手の移動範囲も広すぎる。それにしても、べアールのヴァイオリン演奏シーンには感嘆する。)

で、そのヴァイオリンの不調を治してくれて、より良い音を引き出してくれる職人に恋心を抱いてしまうというのも理解できる。擦弦楽器奏者にとって楽器は「魂」であり、信頼してその魂を託して癒してもらえる職人との出合いは教祖との出会いみたいなものだろう。(私の場合は自分の楽器の最高の音さえ引き出せてもいないから話は違う)

ギターについては、自分の楽器の最高の音は引き出せるけれど、楽器が「魂」というギタリストはまずいないだろう。なぜなら、ギターという楽器は、擦弦楽器と違って、時代と共に「劣化」するからだ。たいていのギタリストは複数のギターを持っている。ピアニストに至っては、演奏会に自分のピアノを持っていくことなどできないから、あてがわれた楽器で最高のものを引き出すしかない。

だから、この映画の「恋」は、ヴァイオリニストという設定でしかありえない。チェロなら大きすぎて自分の魂というより半身というイメージになるし。

この映画の中のスタジオでの録音シーンも、私のトリオが最初のCDを録音したのは21世紀に入ってからだったから、この映画を最初に見た時にはそのリアルな臨場感が分からなかったのだと思う。

そのように「今だから分かる」というものと、ただただノスタルジックなものとがある。書店で本を買って「125フランです」と言われるシーンが懐かしく、ああ、今はユーロになったなあ、と思うし、携帯電話がなくて、しょっちゅう固定電話が鳴るシーンも懐かしいし、男女の浮気やすれ違いのヒストリーは携帯電話の前と後では決定的に変わったなあと思う。しかも、そればかりか、コロナ禍が1年続く今となっては、パリの密なカフェやレストランのシーンを見るだけで、なんだか「時代劇」を見ている気がしてくる。

で、肝心の、心を閉ざした職人ステファンと社交的なマキシムの友情と三角関係、そこにヴァイオリニストのカミーユと暮らすプロデューサーのレジーヌ、これらに、いずれも愛と嫉妬と支配欲などが微妙にからまっている。ステファンが唯一自然につき合えるような書店主の女友達との交友だけがほっとできる素直な感じだ。これらはいかにも「フランス映画らしい」と形容されるのだろうけれど、実際、フランスでは「あるある」光景で親近感がわく。クラシック音楽とエリートとの関係に関する議論が彼らの間でもなされているのがおもしろい。

最近、存在も知らなかった極右の夕刊紙Présent の別冊で「アイデンティティの戦いとしての音楽」という特集の中で、フランスの音楽教育のエリート主義についての記事に目をとめたばかりだったという偶然もある。(そこにはヨーロッパの屋外楽団を始めたのがフランス革命軍だという記事もあった)


オトゥーユとべアールの心理劇が名演だというのは認めるけれど、原題の「冬の心」を持つステファンは発達障害なんだろうな、とか、これはいわゆる「蛙化現象」でセラピストが必要だな、とか、今となると余計なことをいろいろ考えてしまって、どんどん素直でなくなっていく自分に気づく。


by mariastella | 2021-03-13 00:05 | 映画
<< 復活と再生の仕方 冒険家とアスリート / 南極大... >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2026年 07月
2026年 06月
2026年 05月
2026年 04月
2026年 03月
2026年 02月
2026年 01月
2025年 12月
2025年 11月
2025年 10月
2025年 09月
2025年 08月
2025年 07月
2025年 06月
2025年 05月
2025年 04月
2025年 03月
2025年 02月
2025年 01月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
スペイン・バロック展 その1
at 2026-07-14 00:05
酷暑に思う
at 2026-07-13 00:05
すてきな女性!
at 2026-07-12 00:05
けだまだま
at 2026-07-11 00:05
ネコとネズミ
at 2026-07-10 00:05
猫の目
at 2026-07-09 00:05
「食べてはいけない!」
at 2026-07-08 00:05
『神秘の目--スペイン黄金の..
at 2026-07-07 00:05
エムバペとジダン
at 2026-07-06 00:05
2026 FIFA ワールド..
at 2026-07-05 00:05
死刑囚から歴史学博士に
at 2026-07-04 00:05
「猛暑」第二派の「最終日?」
at 2026-07-03 00:04
『坂本龍一 ピアノへの旅』
at 2026-07-02 00:05
ブログ読者の方々へのお礼とお..
at 2026-07-01 00:06
「推し活」とアディクションと..
at 2026-06-30 00:05
猛暑と推理小説
at 2026-06-29 00:05
レバノンはどうなるのだろう
at 2026-06-28 00:05
「教え」と「育て」
at 2026-06-27 00:05
オディールとジャンヌ・ダルク
at 2026-06-26 00:05
十字架のイエスの意味
at 2026-06-25 00:05
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧