これを書いているのは3/11。
やはり10年前の東日本大震災のいろいろを思い出して、このブログの10年前の記事を読み返していた。
4月の帰国をキャンセルして、海軍ホールでのチャリティコンサートのために奔走して大変だった。ネットで日本のニュースをあんなに熱心に見たのも、いろいろなブログで情報収集したのも、あの時期がはじまりだった。95年の阪神淡路大震災の時も、インターコンチネンタル・ホテルのチャリティコンサートやルーアンでのチャリティコンサートをしたけれど、その頃はまだワープロを使っていたし、情報量は少なかった。
で、10年前の自分のブログを読んでいたら、こういうのがあって笑えた。
メトロの中で知らないおじさんの唾がとんだ、という話で、そんなことすっかり忘れていたけれど、10年ぶりに読んで遠い目になってしまう。
去年秋の2度目の外出規制以来、メトロに乗ること自体がほとんどなくなった。
この1 年、ウィルスが飛沫感染ということで、マスクをつけること、でもマスクをつけても完全なガードはできない、メトロの中でしゃべってはいけない、などと繰り返され、お喋りしている人がいると反射的に避ける。
この記事で、知らないおじさんといろいろ話したというエピソード、今ではあらゆる意味で考えられない。
東日本大震災や「フクシマ」にも、いろいろ影響を受けたし、10年経ったと言われれば、その日が近づくにつれて感慨を覚えたけれど、コロナ禍では3/17が近づくにつれてフラッシュバックが起こった。
3/11にピカソをテーマにしたコンサートで、何曲も弾いて、はじめてボレロの演奏にも参加した。このコンサートのために何度もリハーサルもしていた。
3/12 にソルボンヌの16世紀がテーマの学会が、初めてルーブル美術館で開催されたのに出席した。おしゃべりしながら軽食も摂った。
3/14にカルテットの練習をし、次の週からコンセルヴァトワールが閉鎖されると決まった。ダンス付きのトリオのコンサートも中止になった。3/15が全国の市長選挙で、その後で、3/17からのロックダウンが発表された。
イタリアではその1週間前からロックダウンが始まっていて、フランスも同時に始めるべきだと言われていた。
それから、8週間の外出規制に突入したのだ。
津波や爆発のような映像はない、緊迫した病院の映像ばかりが流れた。
そして、1 年。今は午後6時以降の外出禁止で、レストランも劇場も美術館もコンセルヴァトワールも、閉まっている。
コロナ禍を「振り返る」ことができるのはまだ先のようだ。
でも、考えたり、学んだりすることは今からでも、できる。