『男の争い』ジュールズ・ダッシン Du Rififi chez les hommes 1955
1955年の黒白映画だけれど、フランスのフィルム・ノワールの傑作古典ということでなんとなく観てしまった。いわゆるケイパーもので、好みではないし、暴力や殺人シーンがある映画は避けることにしているのに、コロナ禍で新作映画が300本も公開待ちという時期なのでついTVの放映に目が行く。
で、このところ、1960年代や1980年のパリの映画を視聴したのが1955年と、戦後世代が完全にまだ子供という時代のパリにさかのぼる。ここでも咥えたばこなどが普通に見られるし、やはり、「電話」が印象的だ。もし携帯電話があればこの映画の悲劇的な結末はあり得なかった。(実際、携帯電話があれば私の人生が変わっていたかもしれないような事件が学生時代にいくつか起こったのを覚えている。フランスで最初の携帯電話を買ったのは1998年だった。)
(以下、いつも通りネタバレあり)
で、最初のシーンが灰皿にタバコの吸い殻がいっぱいで煙の立ち込める部屋での、帽子を被った4人の男のポーカーシーンで、なんだかアメリカ映画風だなあと思った。その後の「家庭シーン」も、掃除機を抱えた若妻の雰囲気と言い、やはりアメリカのファミリードラマみたいだと思った。
でも、考えてみると、監督のジュール・ダッサン(フランス読み)は、当時ハリウッドの赤狩りブラックリストに載ったのでフランスに逃れてこの映画を撮ったアメリカ人で、宝石店に侵入する4 人組のひとりに扮している。金庫破りのプロのセザールというイタリア人の役で、もう一人のイタリア人役はフランスの映画監督、若いジョー役はオーストリア人、主役のトニーを演じるジャン・セルヴェはベルギー国籍と、すごくインターナショナルな映画だ。(実際吹き替えのセリフもある)
ジャン・セルヴェは出獄したばかりの初老のギャングという哀愁漂う名演だけれど、なんと当時44歳ということで、今のマクロン大統領と変わらない年齢なのに、この老け方も時代を感じさせる。
古い映画によくあることで、音声が割れて聞き取れない部分がたくさんあったので、ストーリーのディティールが理解できなかったらつまらないと心配したけれど、なんと、盗みの準備や実行シーンの30分近くセリフがないサイレント映画になっていた。それが臨場感あふれて圧巻で、ケイパーものの醍醐味となっている。
それだけでもなるほど名作なのかと思ったけれど、それからがまた意外な展開で、結果的にチームワーク抜群だった4 人全員が次々と死んでいくことになる。5歳の子供がオープンカーではしゃぎながら郊外からパリのアパルトマンまで連れて帰られるシーンもサスペンスフルで独特だ。
この男の子はトニーという名で、父親ジョーが刑務所で世話になったトニーの名をもらって洗礼親になってもらっている。つまりゴッドファーザーが名づけ子を救い出すという結末になっているのだ。
伏線もいろいろはられていて、脚本がよくできているし、視聴した後で満足感が十分得られた。