ユダヤ人は神殺しか?昨日の記事で、ジェファーソンが、福音書で合理的、啓蒙精神的に都合の悪いところをカットして、切り貼りして「マイ聖書」を作ったことについて書いたけれど、それに伴って、別のことを想起した。
それは、新約聖書の中のパウロの書簡『テサロニケの信徒への手紙一』についての神学者や歴史学者らの尽きない悩みのことだ。西暦50年頃に書かれた最も初期のパウロの書簡と言われているのだけれど、その中に、後々、「神殺しのユダヤ人」という反ユダヤ主義の根拠とされてきた「不都合」な部分がある。
第2章の14-16節でこういうものだ。
「きょうだいたち、あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから受けたのと同じ苦しみを、あなたがたもまた同胞から受けたからです。 ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げています。こうして、いつも自分の罪を溢れんばかりに満たしているのです。しかし、神の怒りは極みまで彼らの上に臨みました。」
うーん、パウロやイエスだってユダヤ人なのに、ユダヤ人を神とあらゆる人々の敵のように決めつけている。
この部分についての解釈には大きく分けて三つある。
その1 パウロの手紙と言っても、机の上で書いたものなどではなく口述筆記が残ったものだ。話しているうちに気分が高ぶってこういう言い回しになったということはあり得る。
その2 パウロの手紙と言われる14の文書のうち確実に彼の手になると言われるのは4つに過ぎない。後は後世に弟子たちが神学的に編集したか創作したものだと思われる。「神の怒りが極みまでユダヤ人の上に臨んだ」というのは紀元70年(最初の使徒やパウロはもう死んでいる)にローマ軍によって神殿が破壊されユダの国が滅ぼされた事実を記述したもので、この「手紙」が書かれたのはそれ以降、一世紀末で、すでに初期キリスト教共同体の主流が非ユダヤ人になってからのものである。
その3 この手紙はパウロのものであるが、この3つの節だけは、ユダヤの神殿が破壊された後、キリスト教徒の非ユダヤ・アイデンティティが確立した後で数十年後に挿入されたものである。その証拠に、この3つの節をカットすれば、その前後はすんなりとつながっている。
というもので、「その3」説を唱える人は、それを見せてくれる。
2章の10-13節と、その後14-16節をカットして17節から手紙の最後までをつなげてみよう。 「あなたがた信者に対して、私たちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないように振る舞ったかは、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。 あなたがたが知っているとおり、私たちは、父親が子どもに対するように、あなたがた一人一人に、 神にふさわしく歩むように励まし、慰め、強く勧めました。神は、あなたがたをご自身の国と栄光へと招いておられます。 このようなわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、まさに神の言葉として受け入れたからです。この神の言葉は、信じているあなたがたの内に今も働いているのです。」 (この後14-16カット) 「きょうだいたち、私たちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので――心ではなく、体だけですが――、なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。 そこで、あなたがたのところに行きたいと願いました。ことに、私パウロは何度も行こうとしたのですが、サタンが私たちを妨げました。 私たちの主イエスが来られるとき、その御前であなたがた以外の誰が、私たちの希望、喜び、また誇りの冠となるでしょうか。 実に、あなたがたこそ、私たちの誉れであり、喜びなのです。」
となって、確かに家族的雰囲気や信頼がすんなりと続いている。
2つの間に 「きょうだいたち、あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから受けたのと同じ苦しみを、あなたがたもまた同胞から受けたからです。 ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げています。こうして、いつも自分の罪を溢れんばかりに満たしているのです。しかし、神の怒りは極みまで彼らの上に臨みました。」 などと突然「ユダヤ人」とひとまとめに攻撃しているのは唐突だ。
で、この問題には、当時と同時代の新資料でも出てこない限り、「正解」はあり得ない。 しかも、特に西方キリスト教における伝統的なユダヤ人差別や「神殺し」のレッテルがナチスのホロコーストに繋がった歴史があるから、神学者や聖書学者たちにも「良心の呵責」みたいなものがある。
私など、非キリスト教文化圏の日本でキリスト教ともユダヤ教とも縁がなく育ったから、単純に、イエスを逮捕し十字架刑にした直接の「下手人」はローマ人だから、ローマ・カトリックには不都合で、「神殺しはユダヤ人」と言い続けてきたのだと普通に思っていた。 ローマ・カトリックは長い間、信徒に聖書も読ませないで、フランスなどにはイエスや聖母マリアがユダヤ人であることさえ知らなかった多くの民衆がいたとまでは知らなかったけれど。
25年以上昔、19歳の神学校時代からずっと日本に滞在してすっかり「日本」的になっていたイタリア人の神父さんと東京で話したことがある。その時にこの「神殺し」の話が出てきて、私が「それはキリスト教がローマ帝国の国教になったんだから、ローマ人がイエスを裁いて殺したなんて不都合だからユダヤ人に責任を押し付けたんですよ」と気軽に言うと、彼はすごく驚いて、「おお、確かだ。そんなことは考えもしなかった。誰も教えてくれなかった」と言った。
新旧約聖書は「文書群」であって、整合性がないのは当然だと思う。でも、それがパレスティナの一民族からギリシャ文化圏ローマ帝国に広がった後で、「近代欧米」にまでつながったのだから、ジェファーソンにしろ、無数の神学者、聖書学者(歴史学、文献学)にしろ、切り貼りしたくなるほどの葛藤を生むようだ。
日本のマジョリティに属すると思う私には、古事記やらの建国神話も、お釈迦様の誕生や涅槃物語も、お宮参りや四十九日も、疫病を退散させてくれるアマビエさまも、「真偽」を問うなどという対象だったことは一度もなかった。 今や人生の半分以上をカトリック文化圏で暮らしていて、比較宗教的な研究もずいぶんしてきたけれど、その「距離感」はずっと健在で、そこが「聖霊」の降りてくるインスピレーションの場であり続ける(?)のはありがたい。 宗教と民族や部族の対立と政治との関係を分析すればするほど、パウロの「不都合な記述」も宗教テキスト「あるある」現象だと思えてくる。 でも、ナチスのホロコーストもイスラム過激派によるテロリズムも、そういう「あるある」のはざまから生まれてくるのだから、決して看過してはならない。 人々が平和に共生できる世界につながる新しい言葉を紡ぐのは、どんなに非力でも、次の世代に向けた私たちの使命であるべきだと肝に銘じよう。
by mariastella
| 2021-03-27 00:05
| 宗教
|
以前の記事
2026年 03月
2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月
カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 パリのオリパラ 人生観 未分類
検索
タグ
フランス(1363)
時事(806) 宗教(726) カトリック(651) 歴史(430) 本(310) アート(253) 政治(223) 映画(179) 音楽(155) 哲学(114) フランス映画(109) 日本(99) フランス語(95) コロナ(85) 死生観(63) 猫(56) フェミニズム(49) エコロジー(48) カナダ(40)
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||