これを書いているのは4/3、木曜、金曜に続いて16h30のセレモニーに行ってきた。
土曜日はイエスが地獄を訪問している日で、復活は真夜中のミサになる。普通は真っ暗の中で火が灯されて外から行列したり、成人の洗礼式が行われたりする。
町の教区ではクリスマス・イヴと同じく21h30から23h頃というのが普通。
でもフランスは19h以降の外出規制だから、16h30に設定したり、日曜日の朝6h30に設定したり、教区によっていろいろある。いつも通りの夜の徹夜祭は、信徒は参加できない。
で、どういう工夫があるのかと楽しみにしていたら、何もなかった。
イエスが墓所の中ということでこの日は聖体もないし鐘も鳴らない。復活祭の朝に教会の鐘がローマから帰ってきて庭に卵を落としていくことになっている。
音楽は昨日のクラリネットに代わってアルトフルート。昨日の悲痛な叫びと違って、喪に服している静かな響き。

雅歌などすべてが掛け合いの答唱に参加できるから、大勢で、音響効果のいい広い場所で歌えることはやはり嬉しい。でも、内容はすべて、昨日の「劇的」な受難と違って、アダム以来、天国から追われている人間をイエスが救い出してくれるという教義的物語で盛り上がりはない。
しかも、アダムのあばら骨からエバ(イヴ)が創られた時の脇の痛みを、十字架で脇を槍で刺されたイエスの痛みで癒す、みたいな伝統的なレトリックも語られる。
神はアダムを深い眠りに落した後であばら骨の一部をその跡を肉でふさいだ(創世記,21)のだけれど、アダムは麻酔が切れて痛かったとでも言いたいんだろうか(こういう言説は全て一世紀ギリシャ語圏のミソジニーに影響されてできたものです。今ならキャンセル・カルチャーかも)。
で、全体としてくらーい感じで終わり。その後で多くの人が聖母像や聖人像に蝋燭を供えていた。イエスはもう十字架にいないし埋葬されているのだから、聖人像が頼りになるのかも。聖フランチェスコの像に祈願の紙が挟まれていたのが印象的。

外は、街路樹に若葉が芽生えていた。冬場にきっちり刈られたままの形で生えてくるのが行儀よさげでかわいい。


刈りこまれていない木にも若葉。
この春の訪れが「復活祭」にぴったりだ。日本の「新年度」が4 月始まりというのと気分的に重なる。
今日の夜はTVでヴァティカンの復活徹夜祭を視聴して、あすは11hのミサに行こう。どんな演出か楽しみ。正午のフランシスコ教皇による「全免償」に間に合うように帰らなくては。
(午前中のピアノの生徒に私が日曜以来全部の典礼に出ていると言ったらそんな信仰篤い人だったのかと一瞬驚かれた。フランスの都会でカトリック教会の典礼に参加するのは日本で初詣に行くくらい匿名性が高いのでハードルが低い。もう一年もコンサートも劇場も閉鎖している今、生演奏や歌を広い場所で聴いたりいっしょに歌ったりできてしかも無料で、マスクとアルコール以外何のチェックもなくて、みんなが盛り上がっていても、カルト宗教のリスクはないし、「みんなが知り合い」という関係もないこのチャンスは逃せない、と言ったら、なるほどと感心された。)
この時間、日本ではもう復活祭の日曜日、日本がコロナ禍から復活することを祈って、Happy Easter!
今見たら、日本の教会って、復活徹夜祭を普通に土曜日の午後にやってるところもあるのだった。
フランスの普通の教区の普通の年はこんな感じ。
ではまた明日。日本の日曜日が終わるまでに復活祭ミサについてもう一つアップする予定です。