人気ブログランキング | 話題のタグを見る

L'art de croire             竹下節子ブログ

18 世紀マルセイユのペスト

歴史学者の イザベル・ブランクール(Isabelle Brancourt)が今からちょうど300年前の1721年のマルセイユのペストと今のコロナ禍を比べていた。


いろいろと興味深い。


まずマルセイユのペストは特に子供や若者に膨大な死者が出た。でも「高齢者」は誰一人として死ななかったというのだ。その理由は、その時代に「高齢」に達した人は、遺伝強者でもあり、すでにあらゆる病原菌やウィルスに対して免疫をつけてきたサバイバーだからだそうだ。なるほど。

今の高齢者は遺伝弱者でも持病や障碍があっても、手厚い医療を受けたりサポートされたりして暮らしているから、未知のパンデミックの前に弱い。


マルセイユにペストが広がったのは1721年の初夏。ペストは高温多湿で広がる。今のようなロックダウンを命令されなくても人々はそれこそ自主的に閉じこもった。

それでも、啓蒙の世紀とはいえ、死を前にして人はみな死を前にしての神の裁きを信じていたから、「共通善」という規範は歴然としてあった。だから、病人は発病してすぐに治療の対象になり、初期に治療されるほど助かる率が多かったのだそうだ。

当たり前だと言えば当たり前だけれど、去年の今ごろ、フランスではコロナで発熱などの症状があっても「治療薬」はないからうちで風邪薬を飲んで、呼吸困難になったら病院へ、などと言われていた。マルセイユのラウルト教授などはすでに存在しているマラリアの治療薬などを組み合わせて、初期の軽症の人を治療していて一定の成果をあげていたのに、そういう既存薬は次々と事実上禁止されてしまった。


1721年のペストの時には、マルセイユでペスト治療専門の病院もすぐに作られたそうだが、2020年のフランスはコロナ治療に特化したものは何も新設されなかった。

1721年から毎日克明な記録を残して「Relationhistorique de la peste」という本にまとめたジャン=バチスト・ベルトランという医者がいる。当時50代で、82歳まで生きた。 献身的に病人の治療をし、ペストが目に見えない菌による感染症であるという見解を示していた。

ブランクール女史は、このような当時の現場の声による「証言」が残っていることの貴重さについて語っている。

それを聞いていて思ったのは、では、2020年のコロナ禍については、世界中でさぞや膨大な「個人の記録」が残っているだろうなということだ。現場の治療者も、直接患者を診ない医療関係者も、患者も、その家族も、ありとあらゆるバイアスがあるだろうけれど、その時にその場所で見聞したことをネット上で綴っている。

これまで、民俗学のフィールド・ワークとか、「聞き取り」とか、あるいは一個人の「日記」の発見などが、「公式の歴史」からはうかがえない、文化人類学とか民俗誌など、庶民の視点も視野に入れた社会史を形成してきた。けれども、今や、少なくとも「先進国」では、全く市井の個人が、「コロナ禍の日常生活」の記録や、恐怖や不安、告発、曝露、陰謀論、レジスタンスなどの言説を発信、配信し続けている。

だからそれを受けるアンテナの傾きによって偏見はいくらでも増大する。そもそもそれを狙った情報操作も普通にされている。

では、後の歴史学者が「コロナ禍」について回顧、分析する時に、この玉石混淆の無限の情報をいったいどうやって扱って分類、分析するのだろう。それこそAI頼みということになるのだろうか。

逆に、18世紀のJB・ベルトラン医師の記録がいかに貴重なものだといっても、彼の見解とすり合わせる資料がないし、彼の視野に入らなかった状況は看過されるわけだから、多くの「真実」が藪の中に放置されたままなのだろうなあと思う。

そういうことを考えるにつけ、10年後や20年後の歴史学者や社会学者や比較文化学者などが語る「2020年代初頭のパンデミック」についての言説を読んでみたいものだ。

それまでに他のカタストロフィが起きないことを祈って。


by mariastella | 2021-04-13 00:05
<< マーシャル・プラン タラス河畔の戦い >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2026年 07月
2026年 06月
2026年 05月
2026年 04月
2026年 03月
2026年 02月
2026年 01月
2025年 12月
2025年 11月
2025年 10月
2025年 09月
2025年 08月
2025年 07月
2025年 06月
2025年 05月
2025年 04月
2025年 03月
2025年 02月
2025年 01月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
スペイン・バロック展  その4
at 2026-07-17 00:05
スペイン・バロック展  その3
at 2026-07-16 00:05
スペイン・バロック展 その2
at 2026-07-15 00:05
スペイン・バロック展 その1
at 2026-07-14 00:05
酷暑に思う
at 2026-07-13 00:05
すてきな女性!
at 2026-07-12 00:05
けだまだま
at 2026-07-11 00:05
ネコとネズミ
at 2026-07-10 00:05
猫の目
at 2026-07-09 00:05
「食べてはいけない!」
at 2026-07-08 00:05
『神秘の目--スペイン黄金の..
at 2026-07-07 00:05
エムバペとジダン
at 2026-07-06 00:05
2026 FIFA ワールド..
at 2026-07-05 00:05
死刑囚から歴史学博士に
at 2026-07-04 00:05
「猛暑」第二派の「最終日?」
at 2026-07-03 00:04
『坂本龍一 ピアノへの旅』
at 2026-07-02 00:05
ブログ読者の方々へのお礼とお..
at 2026-07-01 00:06
「推し活」とアディクションと..
at 2026-06-30 00:05
猛暑と推理小説
at 2026-06-29 00:05
レバノンはどうなるのだろう
at 2026-06-28 00:05
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧