昨日の記事で書いたように、最近はサイエンス番組を見ている。
で、量子力学や相対性理論について聴いているうちに、第二次世界大戦中の科学者たちのことをいろいろ考えた。量子力学の先駆者ですばらしい業績を残したユダヤ系ドイツ人のプランクは、ナチス政権が反ユダヤ政策をとった時には押しも押されもせぬ「ドイツが世界に誇る科学者」だったはずだ。
ドイツの大学でリタイアしたプランクの後継者だったシュレディンガー(オーストリア出身)は、第一次世界大戦でドイツ側について戦っている功労者だったのに、ナチス政権で辞職し、イギリスへ渡り、次いでアメリカに亡命した。アインシュタインも、早くからドイツ脱出を決意してイギリス経由でアメリカに渡った。
ユダヤ系科学者が次々と亡命する中で、プランクは残った。
ヒットラーにも会って、反ユダヤ主義の根拠を問いただした。ヒトラーは、彼らは群れるからだと答えたと言う。
プランクは名誉職からも退かなかった。自分がいなくなって反ユダヤ主義者がその職につくよりも、そのまま耐えて、ドイツ科学のために次世代を守ろうとしたのだ。
アメリカに渡ったアインシュタインがナチス批判をした時も、そのことでドイツに残った科学者がより抑圧されるだろうと遺憾の意を示した。
80 歳を過ぎたプランクは、著書や全国を回る講演会で政府を批判し続け、科学と宗教について語った。ユダヤ教のスタンスではなく、科学も宗教も、目に見えぬ神秘に向かっていると考えたのだ。
政府はもちろん彼の言論を妨害したけれど、国際的な名声のある彼を逮捕することはできなかった。
ナチスは敗れ、戦後、名誉職に復職したが、研究所の名前は「マックス・プランク研究所」と改名された。今も世界に冠たる研究所だ。
「ナチスの嵐を耐えて残ることで新しい時代のドイツの役に立つべきだ」というプランクの助言を受けてドイツに踏みとどまったもう一人の物理学者が、不確定性原理で有名なハイゼンベルクだ。ハイゼンベルクはユダヤ人ではないが、ナチスを正面から批判して、殺人予告を受けるほどに脅されていた。ハイゼンベルクも信仰の深い人だった。実用科学ではなくて、理論物理学の世界となると、「神秘」の感性に裏打ちされるのかもしれない。
プランクとハイゼンベルクのもう一つの共通点は音楽だ。プランクはオペレッタを作曲しピアノもオルガンも演奏したし、ハイゼンベルクはピアニストの道を歩もうかと迷ったほどの腕だった。
ユダヤ系であろうがなかろうが、「ドイツ人」の音楽の教養と層の厚さをあらためて思う。
プランクやハイゼンベルクがいなかったら、戦後ドイツの復興は違ったものになっていただろう。
ユダヤ系フランス人で、1942年のドイツ侵攻でパリを追われても、亡命せずにリヨンなどに潜伏して戦後すぐに復帰したのは数学者のポール・レヴィだった。彼は、スイスからの情報で、物理学者と違って数学者はナチに目をつけられないと知って留まったのだという。
指揮者のフルトベングラーや哲学者のハイデガーのように、戦後、親ナチや反ユダヤ主義の疑いをかけられた巨人もいる中で、プランクやハイゼンベルクのように、慎重ながら、反ナチス主義を決して揺るがすことなく貫いた人たちって、やはり尊敬してしまう。