NY在住のフランスの哲学者バンジャマン・オリヴェンヌがコンテンポラリー・アートについて書いた本 『もう一つのコンテンポラリー・アート-- 真の芸術家と偽の価値』
がおもしろそう。
今世界で一番高値が付くアーティストは巨大チューリップで有名なジェフ・クーンズ。
その他アングロサクソン中心のアーティストが4,5人続く。ヴェルサイユで「王妃のヴァギナ」という作品を設置したアニッシュ・カプーアというアーティストもロンドンを拠点にしたその一人だ。(日本で観たこの人の作品について前に少し書いている。)
コンテンポラリー・アートが投資の対象になってから久しい。
メディチ家や王家などをはじめとしてコレクターに選ばれて残ってきたアート作品は、アメリカ発のビジネスの文脈の中で変わった。
デュシャン以来、「作品」を鑑賞する前に「解説」が必要になった。
以前はまず作品を前にして「美しい」などの情緒があり、その上で、その解説を読み、由来を知って、さらに感動が深まったり別の意義を感じたりした。
今は、まずその作品の意味や意義や価値を「解説」されて、なるほどと納得する手順になっている。
「美」は主観的であって客観的な美など存在しないというのが通説になった。
アートの国フランスも、以前は個人のコレクターが自分の好みの作品を手元に置きたいというのが主体だったけれど、1959年の文化省設置以来「政治」の道具ともなって、巨大な作品を公共の場に展示するオープニングで大臣が感動的なスピーチをすることでその価値が共有されるようになった。
長い間アートの美の「価値」を担保してきたフランスの画廊の画商たちは、生前にゴッホの絵の価値を見抜けなかったことのトラウマ(審美眼的にも投資の意味でも)から抜け出せないで、「この作品が優れている」 というタイプの上から目線の言説を口にしなくなったという。
デュシャンの「泉」の挑発だって、ある種の「警告」だったのに、アヴァンギャルドの中で「美」は一種のタブーとなった。「具象」によって何を表現するかということは問題ではなくなり、シニフィアンだけが表現となる。
その中でも、具象作品を描き続けるアーティストはいて、ピカソのように、圧倒的な力で生前に名声も、商業的な成功もおさめた人もいる。
この本はイデオロギッシュで不可解なコンテンポラリー・アートの中で一種のレジスタンスを貫いた具象画家たち(ボナール、バルテュス、モランディ、ホッパー、ジャコメッティ、ルシアン・フロイドなど)について語っているということで、ぜひ読んでみたい。
(コンテンポラリー・アートについての前の記事。その中にいろいろリンクがはってある。)