今でも6月にある「父の日」や「キリストの聖体祭」の起源になったのが、1263年にイタリアのボルセナで起こったホスティアの奇跡だ。
プラハから来たボヘミアの司祭が、ホスティアにキリストの体が真に宿っているのかに懐疑を抱くようになり、悩んでローマに巡礼に来た。ペトロとパウロにこの懐疑を消しいくれと祈るためだ。その途中ローマの北のボルセナの聖クリスティナ教会でミサを挙げていると、掲げたホスティアから血が流れ出て、祭壇の布に染みを作った。ホスティアの外見は変わっていない。司祭は驚き、聖体がイエスの真の体だと悟り、自分の懐疑を恥じて目立たぬように聖体を器に戻した。すると容器から血があふれて大理石の床に滴った。
司祭はすぐに、当時ボルセナのオルヴィエト近くのオルヴィエトにいた教皇ウルバヌス四世に報告した。そこで教皇が招集したのが、トマス・アクィナスにボナヴェントゥラという錚々たる二大神学者だ。(二人とも後に列聖され教会博士のタイトルも得ている)
奇跡の「真性」を認められて、血のシミのついた祭壇の布はオルヴィエトのカテドラルに運ばれた。

この後、1264年に、教皇はキリストの聖体祭を制定し、2人の神学者に祈りの分を起草させた。まずトマス・アクィナスが読み上げると、それがあまりにも美しかったので、ボナヴェントゥールは自分の草稿を引き裂いたという。
血の跡のついたタイルの方は、ボルセナの教会で今も見ることができる。
なぜ急にこのホスティアの奇跡について書いたのかというと、今、これらの奇跡の写真を150枚のパネルにした展示会が世界のいろいろなところを巡回しているからだ。
それを可能にしたのが、ホスティアの奇跡のウェブサイトを立ち上げた「神のギーク」と呼ばれる少年だった。カルロ・アクティスは2006年に15歳で白血病で夭逝し、2020年10月に、殉教者枠ではない最も若い福者として列福された。(続く)
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