忘れないうちに覚書。
weird ウィアードという英語がある。おかしな、変な、という形容詞で、英語圏発のネットの面白動画やサイトにも使われているからなじみの人も多いだろう。
それを、今の「キリスト教文化圏西洋近代」特有のおかしな「変容」を表す言葉として使っている人がいる。(ジョセフ・ヘンリックなど。)
W : western
E : educated
I : industrialised
R : rich
D : democratic
つまり、「西洋」の「工業化された」「豊か」な「民主主義」社会で「教育を受けた」人々の「スタンダード」が世界の基準となっている。でもそれは特定の文化的スキルやリテラシーに基づいたもので、「西洋」のそのスタンダードが少しずつ彼らエリートの「脳」の働き方も変えたというのだ。
もちろんそれは特にキリスト教的、さらにピューリタン的な心性を基にしたものだ。
たとえば、そのような「エリート」社会の基準は「一夫一妻」制度だが、最近まで、人類の85%には一夫多妻制度が存在し、受け入れられてきた。
一夫一妻が法律によって規定されたのは日本は明治憲法から、中国は1950年、ネパールは1963年なんだそうだ。もちろん法律が禁じても、「慣習」というのが残って、社会的に許容されている社会も多いだろう。
で、ウィアードの社会のピューリタン的「一夫一妻」の厳守は「脳」にも影響してテストステロンの分泌を低下させ、その結果犯罪率が低下したのだそうだ。
言い換えると、開発途上国の貧しい教育を受けていない人々の社会は野蛮で争いが絶えない、ということになる。いや、「先進国」でも、教育を満足に受けられず貧しい人の住む地域では、生存競争のためにテストステロンが全開で、暴力沙汰が絶えない、とかそういうことになる。
そして上品なブルジョワのピューリタン家庭みたいなweirdの規範って、実は少しおかしいweirdのではないだろうか、という問題提起がこの言葉なのだ。
このことは、誰でもうすうす感じているようなことをけっこう明確に言語化しているのではないだろうか。
フランスのようなカトリック文化圏は長い間モラルがとっちらかっていて、多神教的社会とも通じるところがあったのだけど最近はすっかりアメリカ化してきた。
日本のような国は、「一神教」とは一体何なのかということを理解しないまま、アメリカン・スタンダードに過剰反応した。
こういうことを踏まえた上で、分かりやすい近未来への比較文化論を今構想中なので、ここに書き留めておく。