ローマ出身のローマ法王はピウス第二次世界大戦の激動期を生きたピウス12世(1939-58)の後は出ていないようだ(ローマは長く、共産党が優勢な町でもあった)。
特に最近は、ポーランド人のヨハネ=パウロ二世、ドイツ人のベネディクト十六世、アルゼンチン人のフランシスコと、「外国人」法王が続いている。
で、「ローマ司教」でもあるローマ法王には次は「ローマ人」? と期待されている人がボローニャ大司教のマテオ・マリア・ズッピなんだそうだ。
週刊オセルヴァトーレ編集長だった愛情深い父と、家庭内で君臨していた母との間に6人きょうだいの一人として生まれた。
5年前にボローニャ大司教に叙任された65歳で、2019年には枢機卿に任命され、フランシスコ教皇の信任厚く、教会の閉鎖体質を批判して改革を応援している。移民やLGBTについて、先入観やアマルガムが多すぎるとして擁護していることでも有名だ。
ボローニャは412の小教区を要する大司教区で、五世紀の聖ペトロニウスが開いた教区だ。でもボローニャ大司教からローマ法王となったのは数人しかいなくて最後が16世紀のグレゴリウス十三世だそうだ。フリーメイスンの牙城などともいわれているけれど、教会の過剰な隠ぺいが噂や幻想を招くのだと言う。
彼へのインタビュー記事は、パリマッチ誌(No 3757,p92-93)で読んだのだけれど、なぜ特に興味を持ったかというと、彼の著書『汝の隣人を憎め』がフランス語に訳されたからだ。(『Tu haïras ton prochain』Salvator))
普通はもちろん「汝の隣人を愛せよ」がイエスの教えなわけだけれど、今の世界には、「隣人」を愛さない理由は山とある、その中で、隣人愛、きょうだい愛が、都合のいいときにだけ口にされる、というのを批判し、絶対に譲れない隣人愛について語ったものだそうだ。
タイトルはもちろん挑発的な意味で、個人主義とデジタル環境のコンビが不安と憎悪を煽り、正当防衛や不寛容、暴力の行使が社会にも教会内にも、異宗教間にもこれほど高まっている状況を分析する。憎悪が潜在していることもある。嫉妬や羨望という形をとることもあるだろう。コロナ禍の閉塞によってナルシシズムから覚めた人々が運命主義や被害感情に襲われている。そんな隠れた憎悪から回復するためには、まず「隣人」と知り合うことが必要だ。
フランシスコ教皇がイラクを訪問したこともその実践である、と言う。
カリスマ性があるけれどつい衝動的な言動が出ないでもないフランシスコ教皇とこの「ローマ出身のボローニャ大司教」の連携には信頼感を覚える。
彼の中に次代の「ローマ司教」を見ているイタリア人も多いとか。