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L'art de croire             竹下節子ブログ

『獣人』ジャン・ルノワール監督 ジャン・ギャバン主演

ジャン・ギャバンが34歳で、第二次世界大戦勃発前夜の1938年にジャン・ルノワール監督が撮った『獣人』La bête humaineを先日TVで試聴した。


ルノワールとギャバンのコンビは前年に『大いなる幻影』も発表している。この古典は私も日本で学生時代に見ているけれど、『獣人』は観ていない。その後、ルノワールはアメリカに移住した時期が長く、これはルノワール前期のフランス映画の中で最後の傑作のひとつだ。

ゾラの1890 年の小説が原作で、主人公のジャック・ランチエは蒸気機関車の鉄道員。蒸気機関車時代の過酷な労働は、今でも、フランスの国鉄職員の特権的年金に影響を及ぼしているほどだ。騒音の中、煤で真っ黒になる作業はリアルで迫力がある。

今ならどれほどの大気汚染かと言われそうな噴煙だけれど、大きな車輪がダイナミックに回るその様子は、カメラアングルの素晴らしさもあって、「鉄オタ」が魅了される気持ちが分かるくらいだ。

私の子供のころはまだ蒸気機関車が走っている場所があって、それを体験しに家族で乗ったことがある。窓を開けていたら、兄の目に煤煙が入って、その後で眼科に行かなければならなかったのを覚えている。(この映画でも、作業中は防護眼鏡をかけているのに乗客として廊下に出て窓を開けているランティエの目に煤が入ったというシーンがある)

で、この映画、社会は自然主義文学のゾラの原作だけあって、貴族の住まい、ブルジョワのアパルトマン、労働者の宿舎、と階級差がはっきり表れる。

今見ると、貴族の住まいは変わらないなあと思う。労働者の環境だけが劇的に向上した。

握手の仕方がとてもフランス的なのも懐かしい。40年位前までは、フランス人の握手の仕方というのはアングロサクソンとは全く違っていて、日本から派遣される駐在員にわざわざ解説したこともあるほどだ。でも、それからどんどん「グローバル化」して、ハグと共に何でもありになり、今はコロナ禍で、握手そのものが消滅しているのだから時代の推移に感慨を覚える。


列車はパリのサン・ラザールとノルマンディのル・アーヴル間を走る。

なじみの駅だけに機関車の煙がますます印象的だ。


ギャバンは名演の一言に尽きる。

この時まだ34歳ということなのに、体のボリュームも今ならどう見ても40代後半の感じだ。

古い映画で音声が割れていて聞き取りにくいセリフがたくさんあるのに、なぜだかギャバンのソフトな声は滑らかによく聞こえる。

祖父、父、とアルコール依存の「酒乱」の家系に生まれたことで脳に異常をきたしている、時々、発作が起き、暴力的な衝動を覚えることができないので自分で自分を恐れているサイコパス、という設定だ。上司であるルドゥの妻セヴリーヌから、セヴリーヌが目撃した殺人の話を聞いているうちに自分の殺人衝動が湧きおこる表情が凍り付くほど怖い。

それなのに、セヴリーヌに頼まれて、オーソン・ウェルズを連想させるルドゥを背後から殴り殺すつもりが実行できないという弱さを見せるのだが、それもかえって怖い。

闇や機関車の音や、豪雨の夜、トンネル、小屋、労働者の自炊食堂などの閉塞感が、悲劇を予感させる。


殺人シーンのある映画は見ないようにしているとはいえ、古い映画だからソフトで映像自体は怖くない。演技も映像も構成も編集も名人技で、感心はするのだけれど、ではどれだけ「感動」したかというと、感情移入できる登場人物もいないせいか、今一つ惹かれなかった。

「芸術」としては決して古くなっていないが、『獣人』というゾラのタイトルも、ドメスティック・ヴァイオレンスのシーンも、今となっては微妙なところだ。


目白押しである新作映画を観に映画館に足を運ぶ気になぜかなれないので、時々TVで映画を観ているわけだけれど、いろんな意味で不全感が残る。





by mariastella | 2021-08-30 00:05 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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